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小学生に毎日7キロの教材を背負わせる教育委員会というガン…論争はゆとり教育の総括

構成=長井雄一朗/ライター
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――学校の先生や教育委員会は、官僚みたいですね。

中井 学校の先生たちは、リスクを負うことを嫌います。これが民間企業との違いです。民間企業であれば、成長させなければ潰れてしまいますから、とにかく必死で自分も企業も変わっていきます。学校だけは、世間の流れと反することがあっても許されます。学校は、教育委員会からの指示待ち、教育委員会は文部科学省からの指示待ち、この構造は戦前から、ひょっとしたら明治時代の学校誕生以来、ずっと大枠は同じかもしれません。

 これは、「不登校」や「いじめ論争」についても、何から何まで今もまったく同じです。それぞれの地域事情に合わせて、独自の判断で「うちは置き勉についてこういう事情があるので認めません」「うちは認めます」と、それぞれが判断すればいいことです。そもそも「置き勉」は条例でもガイドラインでもなんでもありません。それなのに皆、文科省の「置き勉」についての見解発表を待っていたのです。仮に、文科省とは別の見解を学校側が事前に発表すれば責任問題になりますから、学校や教育委員会は動かなかったのです。今回、文科省の通知が発出されたことからようやく、学校も教育委員会も「置き勉」について動けるようになったのです。

 明治以来150年、学校と教育委員会が独自に動くことができず、文科省の指示待ちの集まりであるとの確認ができた事象だったという感想を私は抱いています。

――学校は常識的観点から独自の判断を下しても良かったのではないでしょうか。

中井 私立学校は別ですが、公立学校が「常識的な観点」で独自の判断を下すことはまれです。校長の人事権を持っているのは教育委員会ですから、校長が変なことをすれば、異動で左遷されることはあります。地域の意見や親の考えをきっちりと聞いて動く“真っ当な”校長もいますが、それはごくわずかでしょう。もし、これが半分を超えるようになれば学校も変わります。

 しかし現実は、文科省頼りです。実は、文科省は「置き勉」について、「やってもいいです」という見解を出していたにすぎないのです。「やらなくてはならない」と義務化していたわけではありません。

 ところが、「置き勉」を認めると新しいことを始めるわけですから、当然、地域の親から反発もあります。たとえば、「置き勉を認めたお陰でうちの子は勉強しなくなった。どうしてくれるんだ」という意見はその代表例でしょう。そこできっちり、「うちはこういう考えで置き勉を認めています」と説明すべきです。それが親と向き合うことなのです。

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