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小笠原泰「日本は大丈夫か」

サマータイム導入への反対をめぐる議論は的外れである

文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授
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標準時を早めるべきだ

 では、日本では何時まで冬の朝が暗くて、夏の夜が明るいかという観点でみると、主要都市の夏至の日の出と日の入り時間は以下のとおりである。

【夏至(2018年6月21日)】
・札幌市: 日出 3:55/日没 19:18 → 明るい時間15:23
東京都: 日出 4:25/日没 19:00 → 同14:35
・大阪市: 日出 4:45/日没 19:14 → 同14:28
・鹿児島市:日出 5:14/日没 19:26 → 同14:12
・那覇市: 日出 5:38/日没 19:25 → 同13:47

 いかに朝早くから明るいかがわかるであろう。これに「市民薄明(常用薄明)」(灯火なしで屋外の活動ができる目安とされ、日本では日の出前・日の入り後30分間程度)を勘案すると札幌に至っては、朝の3時半から明るいことになる。東京でも4時である。では、なぜ“日本の日の出は早い”のであろうか。

 現在の日本標準時の制定は1886年7月12日である。その背景には、1884年にアメリカで開催された「本初子午線並計時法万国公会」での決議がある。同会議で、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を世界中の経度と時刻の基準とする本初子午線とし、そこから経度が15度ずれるごとに1時間の時差を設け、世界各国で使用することが決定された。それを受けて、東経135度を日本の標準時の基準としたので、イギリスとの時差が9時間という現在の標準時が決定された。つまり、日本の標準時はイギリスを中心に機械的に決定されたのであり、日本人の生活を考慮して決められた標準時ではない。そもそも当時の国民の大半であった農家にとって、具体的な時刻よりも“明るいか暗いか”のほうが重要であったので、標準時を気にする人は少なかったのかもしれない。気にしていたのは脱亜入欧で近代国家扱いを望んだ時の為政者だけであろう。

 当然であるが、朝早くから明るければ、その代わりに夕方は早くに暗くなる。それが、筆者が在住する南フランスと同緯度の札幌の日の入りが2時間違う原因となる。

 多くの人にとって、朝のより早い時間から明るいのと、夜遅くまで明るいのでは、後者のほうが良いのではないか。実際、前回論じた政治家のまったくお話にならないサマータイム導入案を知らない国民の過半数が、導入に賛成している。早くに目が覚めてしまう高齢者の多さを考えれば、この過半数という数字は高いといえよう。

 そうであるならば、我々が検討すべきことは、サマータイムの導入ではなく、標準時を1時間か2時間進めるという変更である。そうであれば、1回の変更なので、今言われている健康被害は大きな問題ではなくなる。ここで、日本の主要都市の冬至の日の出と日の入りの時間をみてみよう。

【冬至(2017年12月22日)】
札幌市: 日出 7:03 /日没 16:03 → 明るい時間 9:00
東京都: 日出 6:47 /日没 16:32 → 同9:46
大阪市: 日出 7:02 /日没 16:52 → 同9:51
鹿児島市:日出 7:14 /日没 17:19 → 同10:05
那覇市: 日出 7:13 /日没 17:43 → 同10:10

 札幌から那覇までの日の出がおおよそ7時前後であることを考えると、標準時を1時間早めるというのが賢明であろう。そうすると、札幌で日の入りが17時、那覇で18時45分となる。標準時を1時間早めると、夏至では夜はおおよそ20時半から21時まで明るいことになる。

 この標準時変更は法的な問題はない。最近の例としては、南太平洋に浮かぶサモアが2011年12月に、119年ぶりに標準時を変更し、世界で最後に新年を迎える国から、世界で最初に新年を迎える国になっている。サマータイム導入の経済効果を期待する政治家や役人が、なぜ標準時変更という選択肢を俎上に載せないのか、筆者には不思議でならない。彼らの想像力の欠如であろうか。

海外との関係で考えるサマータイム導入

 ここで、日本の標準時を1時間早めることの影響を、国際的な観点から考えてみたい。

 アジア各国の時差を見てみると、韓国は日本と時差はないが、中国(含む台湾)、フィリピン、マレーシア、シンガポールは日本から1時間遅れ、ベトナム、タイ、インドネシア、カンボジア、ラオスは2時間遅れである。今後の日本経済の縮小と中国および東南アジア経済の拡大を考慮すると、この北東・東南アジア経済圏の経済的・社会的な結びつきと相互依存は強まるであろう。そして、日本もそれを必要とするであろう。実際、多くの日本人が中国に出稼ぎに行くことも想定される。つまり、国をまたいだ経済活動のみならず、人の行き来が相当に増えると考えられる。その観点から、日本が標準時を1時間早くすることでアジア各国との時差が大きくなることが、日本にとって将来的に賢明な選択であるかは考える必要がある。

反対意見の論調

 最後にサマータイム導入への反対意見の論調をみてみたい。結論からいえば、的外れの議論がなされている。

 健康については確かにご指摘の通りであるが、何事にもメリットとデメリットがあるので、メリットを経験していないのに、想定のデメリットだけを統計と称して声高に叫ぶのはいかがであろうか。健康に悪いといえば、喫煙もそうであるし、許容度が極端に低くなった日本社会のストレスのほうがはるかに問題ではないか。明るい夜が寝不足になるので悪いというが、そうであれば、そもそも酩酊するまで飲む“夜のおじさんの飲み文化”はどうなのであろうか。深夜まで起きているのが悪いというのであれば、サマータイムの導入に反対するよりも、コンビニエンスストアの深夜営業禁止、深夜のネット接続停止を叫んだほうが良いのではないだろうか。

 EUでのサマータイム見直しに関するパブリックコメントで84%がサマータイム廃止を支持したことを受けて、導入反対の論調で盛り上がる多くの日本のマスコミであるが、少し考えるべきではないか。確かに、ユンケル欧州委員長がパブリックコメントの結果を受けて、欧州議会と加盟国の理事会にサマータイム廃止に関する法案を提出したのは当然である。しかし、日本のマスコミは、この84%をもって、あたかもEUの大多数の人々がサマータイムに反対のように報じるが、それはかなりの偏向ではないであろうか。EUの総人口は5億人だが、今回パブリックコメントに答えた人数は460万人である。つまり、総人口の1%に満たない数である。つまり、それほどの関心事項ではないのである。また、すでに行われているサマータイムに反対の人ほど、パブリックコメントに答えるのも当然である。

 次に、残業が増えるという議論がある。そもそも外が明るいから残業するのであろうか。慣習的に明るいので帰れないのであれば、残業時間は、夏は長く、冬は短いのであろうか。残業が多いのは、サービス残業の問題もあるが、多くの人の家計が残業代があることを前提として成り立っているからであり、遅くまで明るいかどうかは関係ないのではないか。

 夜が遅くまで明るければ、若い人たちの生活の仕方も変わるかもしれない。早出はOKでも残業は拒否など、働き方が変わるかもしれない。小さな問題の列挙をして、それがすべて解決しないと制度を変更してはいけないという現状維持の力が働き、何も変えられないというのは、日本社会の典型である。何かを変えれば、必ず新たな問題は起こるのだが、変えることで何か問題がある限りは変えないということでは、日本はシーラカンスへの道を粛々と進むのではなかろうか。

最後に

 今回の日本のサマータイム導入議論では、システム変更による不具合の問題が大きく取り上げられている。合理的であるが非効率な社会であるフランスにいて思うことは、これがもしフランスであれば、サマータイム導入によるシステム障害は想定されるものとして、リスクをゼロにするための膨大なコストをかけるよりは、それは仕方ないと受容し目くじらを立てないであろう。地下鉄の改修で1カ月全線を止める社会である。そのほうが、改修する以上は合理的である。一方の日本人は、現実性を無視して、何事も完璧でないといやなのである。確かにシステム変更がないほうが効率的だが、そのために大きな変革をしないのは非合理であろう。

 そこに、変わろうとする欧米と変わりたくない日本の社会の違いが、明確に出ているといえよう。
(文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授)

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