兄弟で骨肉の争い

 了英氏の下に、滋与史氏、梅子氏、喜久蔵氏、孝氏、平三郎氏の弟妹がいる。末弟の平三郎氏は夭逝した。一族の家父長である了英氏にとって、弟たちは自由に動かす手駒のようだった。そのため、兄弟たちの仲はギクシャクした。

 1980年代、増産を続けてきた紙・パルプ業界は深刻な不況に見舞われた。企業の体力以上の設備投資を敢行し増産に努めていた大昭和製紙は、大量の在庫、巨額の借入金を抱え、経営危機に陥り、メインバンク・住友銀行の管理下に入った。

 住友銀行の取締役から大昭和製紙の副社長に派遣された玉井英二氏(のちの住友銀行副頭取)が率いる再建チームと、工場所在地の地名からとって“鈴川天皇”と呼ばれた了英氏が死闘を繰り広げることとなる。

 玉井氏ら再建チームは快刀乱麻の外科手術を断行した。ゴルフ場をはじめ、有価証券などをことごとく売却して借入金の返済に充てた。このなかには了英氏が愛蔵していたシャガール、ピカソ、マチス、梅原龍三郎などの絵画コレクションも含まれていた。了英氏は悔しさのあまり「住友は乞食の布団まで剥ぎやがる」との名セリフを吐いた。

 82年、了英氏は相談役に退き、建設相だった弟の滋与史氏が大昭和製紙の3代目社長に就いた。滋与史氏は了英の個人商店だった大昭和製紙を近代的な株式会社へと転換を図った。銀行の再建チームが去り、了英氏が第一線へのカムバックを狙い続けていることに危機感を抱く滋与史氏は84年、自分は空席だった会長に就き、喜久蔵氏を4代目社長にして、了英氏を封じ込めた。

 兄弟のなかで了英氏と喜久蔵氏は仲が悪かった。そのため、了英氏は「滋与史や喜久蔵が住銀とつるんで“自分の会社”を乗っ取ろうとしているのではないか」と疑心暗鬼に陥った。

 85年4月、クーデターが起きる。了英氏が社長解任の動議を提出し、喜久蔵氏は社長を解任された。土壇場で了英派に寝返った孝氏が論功行賞によって5代目社長に就いた。喜久蔵氏は最高顧問という、名ばかりの“屋根裏部屋”に押し込められたも同然だった。

 滋与史氏は喜久蔵氏の解任に反対したことから微妙な立場となった。政治活動を続けるには、大昭和製紙の支援が必要だ。そこで、政治に専念して経営から身を引くことで了英氏と折り合いをつけた。

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