奢れる者久しからず

 86年、了英氏は代表取締役名誉会長として経営の表舞台に返り咲く。復権を果たした了英氏は意気軒昂となり、住友銀行とは縁切りを宣言。それにあたって取締役会にも諮っていない。さらに、返す刀で楯突いた弟たちを追放した。

 89年、了英氏の長男・公紀氏が6代目社長に昇進した。大昭和製紙を自分の代で「了英王国」にするための布石だ。了英氏は「公紀に20年は社長をやってもらう」と豪語した。

 その高揚感からだろう。了英氏は1990年5月、ゴッホの『医師ガシェの肖像』(落札価格125億円)と、ルノアールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(同118億円、いずれも当時の為替換算)を落札して話題になった。「ゴッホとルノワールは自分の棺桶に入れて焼いてくれ。(自分が死んだときの)遺産相続が何百億円になると面倒くさい」と口を滑らせ、世界中の美術愛好家を敵に回した。

 この大失言以来、歯車はすべて狂った。

 バブル経済が崩壊し、大昭和製紙は奈落の底に突き落とされる。了英氏は住友銀行と縁切り宣言したうえに、「口うるさいメインバンクはつくらない」と公言していたため、支援に乗り出す銀行はどこにもなかった。

 93年、了英氏はゴルフ場建設をめぐり前宮城県知事・本間俊太郎氏に1億円を贈った贈賄容疑で逮捕され、代表取締役名誉会長を辞任した。この逮捕を受けて94年2月、中野省吾副社長が社長に昇格した。斉藤一族以外から初のトップとなった。メインバンクはなかったが、融資額が大きかった日本興業銀行などの銀行団が、経営悪化の元凶である斉藤家の支配から脱却することを求めたことが社長交代の引き金となった。30年余にわたり、超ワンマンとして君臨した了英氏の逮捕を機に、経営悪化の責任を斉藤家に取るよう求めたのだ。

 了英氏は95年、東京地裁で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた。翌96年3月、脳梗塞で他界した。79歳だった。

“脱同族経営”に徹底抗戦した了英氏が亡くなったことから、興銀などの融資団と総合商社の丸紅が主導して「大昭和王国」の解体が進められ2001年3月、日本製紙グループ本社(現日本製紙)に救済合併された。

 かくして大昭和製紙の名前は産業界から消えた。日本製紙にのみ込まれ、独裁者のくびきから解き放された大昭和製紙の社員はホッとしたかもしれない。
(文=有森隆/ジャーナリスト)

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