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ポスト五輪の東京~2020年以降も勝つまち、負けるまち~TOKYO 2020

東京五輪、給与10分の1だった54年前の「輝きを再び」は幻想にすぎない

文=池田利道/東京23区研究所所長

 社会の進歩は相乗的に加速していくので、折り返し点といっても、実際には助走が終わりアクセルを目いっぱいふかし始めた時期だ。国内総生産(名目)は2ケタ成長が続いていたが、経済力の規模はまだ現在の20分の1程度。輸出は30分の1以下。わざわざ日本を訪れるインバウンド観光客など、ほとんどいなかった。

 それでも、未来は明るく輝いていた。その最大の理由は、人口が増え続けていたからだ。23区ではすでにドーナツ化が始まり出していたものの、東京圏(1都3県)の1960~1965年の人口増加率は全国平均の3倍以上。にもかかわらず、「一極集中だ」と東京が目の敵にされなかったのは、日本全体が右肩上がりにあったからにほかならない。

 当時の人口増加を支えていたのは、いうまでもなく高い合計特殊出生率(15~49歳までの女性の年齢別出生率の合計、ひとりの女性が生涯に産む子どもの数。以下、出生率)にある。人口が増えも減りもしないボーダーライン(我が国では、おおむね2.1)を出生率が継続して下回るようになるのは1974年以降。まだ10年先のことだ。

 今日、我が国に黒い影を落とす高齢化率(65歳以上人口の割合)は、現在の4分の1以下。75歳以上の人口の割合を示す後期高齢化率は1%台。その背景には、平均寿命が男性で68歳、女性でも73歳という事実があった。当時の75歳以上は、今でいうなら90代のご長寿という感覚だろうか。良い悪いではなく、そんな時代だったのだ。

 これまた現在の価値観に照らせばいろいろ意見もあるだろうが、当時の我が国を支えたパワーの源に「家族の力」があったことも否定できない。現在、全国平均で25~44歳の女性の3人に1人は結婚していないが、当時の同じ世代の未婚率は約1割。今や世帯構成の中で最大勢力を誇るひとり暮らしも、きわめてマイナーな存在にすぎなかった。

貧しさのなかにも夢と希望があふれていた

 人々の暮らしはどうだったのだろうか。給与はおよそ10分の1。物価は4~5分の1で、物価と給与を対比した生活水準は今の半分程度。ただし、公共料金は安く、山手線の初乗り運賃は10円、都バスは15円だった。

 現在は460円する東京の銭湯料金は33円、洗髪しなければ23円。「住宅・土地統計調査」(当時は「住宅統計調査」)による当時の東京都の内風呂普及率は40%程度だったから、銭湯は日々の生活に欠かせない存在だった。

池田利道/東京23区研究所所長

池田利道/東京23区研究所所長

東京大学都市工学科大学院修士修了。(財)東京都政調査会で東京の都市計画に携わった後、㈱マイカル総合研究所主席研究員として商業主導型まちづくりの企画・事業化に従事。その後、まちづくりコンサルタント会社の主宰を経て現職。
一般社団法人 東京23区研究所

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