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木村貴「経済で読み解く日本史」

福岡市、若者増加で活況の秘密は、2000年前の朝鮮との自由貿易

文=木村貴/経済ジャーナリスト
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 この「国」とは今でいう都市であり、日本に住み着くようになった中国商人(華僑)の居留地を中心に、海岸に形成された。もっと古い時代には、集落は海岸の低地にはなく、高地にあった。海岸の低湿地には風土病が多く、そのままでは住めなかったからだ。中国商船が定期に来航するようになってから、河口などに人間の定住する場所ができ、住民の食糧を供給する必要から農園ができ、農業が発達した。日本列島に商業経済と都市文明を持ち込んだのは中国人だったのである(岡田英弘『倭国-東アジア世界の中で』)。

 朝鮮半島から対馬・壱岐などの島々を経て、さらに船で南へ向かうと、九州本土北岸に到着する。その主要港湾のひとつ、博多湾口に面した志賀島(しかのしま)では、江戸時代に「漢委奴国王」と刻された金印が発見された。『後漢書』東夷伝の伝える、後漢の光武帝が紀元57年、朝貢してきた奴国(なこく)の王に与えた印である。

 奴国の中心部といわれる福岡県春日市の遺跡からは、紀元前1世紀前後の中国鏡が多く出土し、中国との交流があったことがわかる。一方、博多湾の西には糸島半島と糸島平野がある。ここは『魏志』倭人伝に登場する伊都国(いとこく)の所在地とされ、やはり中国との交流が活発だった。

卑弥呼がもたらせた交易の安定と発展

 しかしやがて危機が訪れる。紀元184年に起こった農民反乱、黄巾(こうきん)の乱などを背景に後漢が衰退。楽浪郡の影響下にあった倭人社会に動揺をもたらす。『魏志』倭人伝によれば、この混乱を収拾するため、倭の諸国の支配者たちが共に王として擁立したのが、邪馬台国の女王・卑弥呼だった。

 邪馬台国の所在地が近畿か九州かは長く論争が続いているが、近年、考古学を中心にこれを奈良盆地に求める説が有力となっている。かりにそうだとしても、九州北部が対アジア交易で重要な役割を果たし続けていたことは間違いない。

 その事実は、卑弥呼が糸島の伊都国に「一大率(いちだいそつ)」という地方官を常駐させたことにも表れている。卑弥呼の時代、博多湾には朝鮮半島と行う倭韓交易の拠点が築かれ、西日本各地の人々が集まり国際交易は盛り上がりを見せていた。卑弥呼の王権は一大率によって博多湾の秩序を保ち、交易の安定と発展を図っていたとみられる(前出『国際交易の古代列島』)。

木村 貴/経済ジャーナリスト

木村 貴/経済ジャーナリスト

経済ジャーナリスト。1964年熊本生まれ、一橋大学法学部卒業。大手新聞社で証券・金融・国際経済の記者として活躍。欧州で支局長を経験。勤務のかたわら、欧米の自由主義的な経済学を学ぶ。現在は記者職を離れ、経済を中心テーマに個人で著作活動を行う。

Twitter:@libertypressjp

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