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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

ベートーヴェンとチャイコフスキーの“迷”曲…演奏で本物の大砲を使用し他国を攻撃

文=篠崎靖男/指揮者

ナポレオンに憧れたベートーヴェン

 さて、『ウェリントンの勝利』では、銃砲の音だけでなくフランス民謡と英国国歌がそのまま入れ込んであります。つまり、英国がフランスを打ち破ったことが音楽上でもわかるように仕組んであるのです。コンサート後、聴衆は「オーストリア万歳! そして、英国万歳!」と、大騒ぎになったことでしょう。

 しかし、ベートーヴェンがフランス民謡くらいでとどめておいたことは、フランスに対して多少の礼を持っていたともいえます。もっとひどいのは、チャイコフスキーです。彼は、大序曲『1812年』という、これもまた大砲がドンドン鳴り響く作品を作曲しています。現在、ほとんど演奏する機会が無い『ウェリントンの勝利』に比べて『1812年』は、現在でも頻繁に演奏されますし、僕も指揮をするのが大好きです。

 1812年という年は、ナポレオンのロシア敗走の年であることは先述しました。そんな歴史的出来事をテーマとしてチャイコフスキーは70年近く後に作曲したのですから、ロシア人にとってナポレオンに勝利したことは、まだまだ嬉しい出来事だったのでしょう。しかも、ベートーヴェンはフランス民謡くらいで済ませていたのに、チャイコフスキーは、なんとフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を入れ込み、その後に始まるロシア国歌(チャイコフスキー時代の帝政ロシア国歌)がフランス国歌を打ち消すことにより、勝利を表現し、最後は、本物の大砲によってロシア勝利の祝砲が鳴り響くという仕掛けです。

 ちなみに、世界のどこでも国歌斉唱の時には、相手の国歌にも敬意を持って起立して聴くことが習慣です。『1812年』のようにフランス国歌を侮辱する行為は、その国民を侮辱することにあたり、現在の国際社会では許されません。チャイコフスキーもひどいことをしたものですが、音楽が素晴らしいので、僕も片目をつぶって指揮する次第です。

 そんなこともあり、『1812年』はフランスでは演奏されづらいと聞いたことがあります。まあ、当然ですね。もちろん、『ウェリントンの勝利』もフランスでは演奏されづらいでしょう。

 他方、作曲した張本人である肝心のベートーヴェンの心中も、複雑だったかもしれません。というのは、彼はフランス革命に、ヨーロッパの理想像を見ていたからにほかなりません。

 ベートーヴェンが22歳でウィーンに移住する前まで住んでいた、生まれ故郷のドイツのボンは当時、啓蒙主義が盛んな都市で、青年時代の彼もどっぶりとこの新しい思想に浸かっていました。啓蒙主義とは、身分や生まれの違いを、人間の叡智によって乗り越えて、すべての人々が自由、博愛、平等という精神のもと生きるという考えですから、一般市民が王侯貴族を打ち破って共和国をつくり上げたフランスは、ベートーヴェンにとっては理想の国でもありました。

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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