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松本典久「山手線各駅停車」

変貌し続ける駅・大崎駅の“出生の秘密”

文=松本典久/鉄道ジャーナリスト
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変貌し続ける駅・大崎駅の“出生の秘密”の画像1山手線大崎駅

 大崎駅は東京都品川区にある山手線の駅だ。ここでは山手線のほかに、湘南新宿ラインや埼京線、さらに東京臨海高速鉄道りんかい線も発着している。このうち、埼京線とりんかい線の電車は大崎駅を経て直通運転するものも多く、運転面でも重要な位置にある。

 JR東日本の2017年度統計で見ると、大崎駅の1日平均乗車人員は、定期外5万6,922人、定期10万7,953人で、合計16万4,876人。山手線29駅のなかでは11位、JR東日本全体では立川駅に次いで16位に入っている。また、りんかい線の最新統計によると大崎駅の1日平均乗車人員は、定期外1万664人、定期1万1,725人、合計2万2,389人。合わせて18万人を超える乗車人員のある駅となっている。

 ちなみに山手線以外の電車が大崎駅に発着するようになったのは、今世紀に入って間もない2002(平成14)年12月から。直前の2001年度の統計では1日平均乗車人員は定期外・定期の合計で5万7,069人。JR東日本全体で71位にランクされていた。この20年ほどの間で急成長を遂げているのである。

 大崎駅の誕生は1901(明治34)年2月25日。山手線の前身となる、日本鉄道品川線の駅として開設されている。

 品川線は、現在の東海道本線となる官設鉄道と東北本線や高崎線などとして発展する日本鉄道の路線を結ぶことを目的として1885(明治18)年に品川~赤羽間で開業した。当初、途中には渋谷・新宿・板橋の3駅しか設けられなかったが、沿線の利便性を図るべく、目黒・目白などの駅が追加されている。

 一方、大崎駅は沿線の利便性ではなく、東海道本線との連絡強化という視点で設置されたものだ。赤羽方面から横浜に行く場合、線路の配線上、品川駅で一旦進行方向を変えねばならない。機関車牽引の列車として運行されていた時代、この方向転換は機関車の付け替え作業をともない、停車時間も余計にかかった。そこで横浜方面に直通できる路線が求められ、1894(明治27)年に現・大崎駅と現・大井町駅を結ぶ短絡線が誕生した。

 当初、この短絡線はもっぱら軍用に使われていたが、一般の列車運行にも寄与させることになり、1901(明治34)年2月には品川線の分岐点を「大崎停車場」、短絡線は「大井支線」、東海道本線側の分岐点は「大井連絡所」と定めている。これが現在の大崎駅誕生の背景だ。なお、同年8月には品川線の名称を山手線に改めている。

松本典久/鉄道ジャーナリスト

松本典久/鉄道ジャーナリスト

1955年、東京生まれ。出版社勤務を経て、1982年からフリー。鉄道や旅をテーマとして、『鉄道ファン』『にっぽん列島鉄道紀行』などにルポを発表するかたわら、鉄道趣味書の編集にあたる。
著書に『消えゆく「国鉄特急」図鑑』(共著、2001年)、『SLが走る名風景』(共著、2001年)がある。

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