NEW

デサント、伊藤忠との会談“隠しどり”→暴露で企業としての信用失墜…救世主に裏切り行為

文=編集部

伊藤忠のテコ入れでV字回復

 デサントは1935年、石本雅敏社長の祖父、石本他家男(たけお)氏がグローブなど野球関連商品を製造、販売を開始した。その後、野球用のニットのユニフォームを開発し、68年にプロ野球・中日ドラゴンズが採用したのを皮切りに、多くのプロ野球チームなどに供給してきた。

 64年、ワンポイントのロゴを入れたゴルフウェアのマンシングウェアを発売した。これがワンポイントブームの火付け役になった。その後、84年にマンシングウェアの過剰在庫から1回目の経営危機となった。この時は伊藤忠から派遣された役員の手腕で、水泳のアリーナ、テニスのルコック、さらにサッカーのアンブロなど、世界のスポーツウェアの有名ブランドのアジア市場における商標権を獲得し、失地を回復した。

 98年、創業以来最大の危機がデサントを襲った。ドイツのスポーツ用品メーカー、アディダスが同年、日本法人を設立するのに伴い、デサントはライセンス契約の打ち切りを通告された。それまでデサントはアディダスの国内での企画、販売を一手に引き受けていた。当時、1000億円の売り上げのうちアディダス製品は、およそ400億円。利益の8割を占めており、これを失う痛手は大きかった。

 デサントの創業家2代目の石本恵一(よしかず)会長(当時)は、伊藤忠の全面支援を受け2回目の危機を乗り切った。そして、2002年、伊藤忠は常務の田尻邦夫氏をデサントの社長に送り込み、田尻氏は改革を断行した。さらに07年、伊藤忠常務執行役員の中西悦朗氏がデサント社長に就いた。08年には伊藤忠の持ち分法適用会社となり、関係を強化。伊藤忠は、その後もデサント株の買い増し、発行済み株式の25%を保有するに至った。

RANKING
  • 企業・業界
  • ビジネス
  • 総合