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日本人が知らない年越し蕎麦(そば)の“秘密”…食べると年収が増える?

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滋賀県大津市の日吉そば(「Wikipedia」より/663highland)

 大晦日に「年越し蕎麦」と称して蕎麦を食べる習わしは、今や全国的なものとなっている。その由来については諸説あり、いまだ定説を見ないが、そのなかのいくつかを紹介したい。

 もっとも古いものは鎌倉期に端を発する、博多の承天寺において年越しすら困難な貧民に「蕎麦餅」を振る舞ったのを始まりとするものである。同寺は円爾(聖一国師)を開祖とする禅寺であり、当時博多に住み日宋貿易によって財をなした南宋の商人・謝国明が支援したことで知られている。なお、この謝国明が「世直し蕎麦」として振る舞ったものを年越し蕎麦の嚆矢とする話もある。

 次は室町期を起源とするもので、「関東三長者」のひとりである増渕民部が大晦日に蕎麦を振る舞ったのを始まりとする説である。また、それに際して「世の中に めでたいものは蕎麦の種 花咲き実りみかどおさまる」と詠んだという説話である。この一首は「みかど」が掛詞になっており、蕎麦の実が三角形であることを示す「みかど」と天皇の「みかど」が掛けられている。なお、この折に食されたのは蕎麦がきであったという。

 さらに、比較的著名な説として、江戸期の金銀を細工する場所にまつわる話がある。たとえば、江戸幕府が貨幣を鋳造する金座・銀座などの加工所で、作業の過程で出た金粉や銀粉を集めるために蕎麦の団子を用いた、金箔師が金箔を打つ際に打ち粉として蕎麦粉を使うと金箔の裂け目を防いだ、といわれる。そこから「金を吸いつける」ということで、蕎麦が金運向上の縁起物として年末に食べられるようになったという説だ。このあたりについては、すでにさまざまなメディアで多く語られているため、ご存じの方も少なくないだろう。

 興味深いのは、前述の3つの説はいずれも麺に打った蕎麦、つまり「蕎麦切り」ではないところである。蕎麦切りは安土桃山期にその始まりが見られるも、一般化したのは江戸期であり、確かにそれ以前の時代に出てくると奇異の感がある。その点では、細かい部分にも一応の考証の跡が見られるといえよう。

江戸時代は“ファストフード”だった蕎麦


 ところで、日本人が蕎麦を食べ始めたのはいつ頃からなのだろうか。文献上の初見としては、『続日本紀』にある養老6(722)年7月の元正天皇の詔が該当する。今年の夏は少雨であったから救荒のために蕎麦を植えよ、と命じたもので、すでに日本では蕎麦の栽培と喫食が始まっていたことがうかがえる。中世においても蕎麦の栽培は行われており、一次史料としては『東寺百合文書』中に蕎麦の貢進が行われたことを示す文書があり、二次史料としても『名語記』や『節用集』に取り上げられている。

 これらのことから考えるに、前述の由来説はあながち荒唐無稽とはいえないかもしれない。もちろん、多少の潤色はあるかもしれないが、蕎麦を食べるという文化そのものは、それぞれの時代に確かに存在したからである。しかし、「年越し蕎麦」という風習自体の発生については、やはり江戸期を待たなければならない。

 なぜなら、その前提として「晦日(みそか)蕎麦」の風習が必要となるからである。これは、主として商家で毎月の末日に蕎麦を食べるという風習である。いわゆる「年越し蕎麦」は、この「晦日蕎麦」が発展したものと考えられる。文化11(1814)年に上梓された『大坂繁花風土記』によれば、12月の「晦日蕎麦」として蕎麦切りを食すことを「年越蕎麦」と呼んだという。

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