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今年「亥年」、天皇譲位と改元が政争に発展&韓国・北朝鮮と紛争の可能性?

文=井戸恵午/ライター
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今年「亥年」、天皇譲位と改元が政争に発展&韓国・北朝鮮と紛争の可能性?の画像1泥浴中のイノシシ(「Wikipedia」より/Richard Bartz)

 謹賀新年。

 今年は亥年、十二支の12番目に当たる。この「亥」とはイノシシの象形文字から来ており、甲骨文にその祖形を見ることができる。そのほかには、「根ざす」「きざす」という意味を持つ。

 また、今年の干支は「己亥」(つちのとい)となる。本来、「干支」とは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の十干と「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の十二支を組み合わせたものである。同じ「干支」は60年に一度めぐってくることになり、60歳を「還暦」と称するのは生まれた干支が再び巡ってくるためである。

 己亥といえば、「亥豕之譌」(がいしのか)という言葉がある。『呂氏春秋』の中に出てくる話で、孔子の弟子である子夏が「己亥」を「三豕(三匹のブタ)」と誤読した人の間違いを指摘した故事にちなむもので、転じて文字の筆写や文章の校正の誤りを指すようになった。筆者も新年早々、ケアレスミスのないように書いていくことにしたい。

2019年の天皇譲位と改元に波乱?

 さて、それでは「己亥」はどのような年になるのだろうか。試みに、過去の歴史からその傾向を探って、本年の動きを占ってみよう。

 まず想起されるのは、天皇や皇室の存在に大きく影響を及ぼす事態の発生である。天慶2(939)年に関東において平将門が乱を起こし、「新皇」と称した。また、官職を与える除目を行って独立の機運を高めた。同じ頃、これに呼応するように西国においては藤原純友が挙兵、いずれも朝廷から差遣された討伐軍によって鎮圧されるに至るが、これは王朝国家体制に大きな動揺を与えることになった。

 また、治承3(1179)年、この将門を討伐した平貞盛の子孫である平清盛が後白河法皇を鳥羽殿に幽閉するという一種のクーデターを実行、院政を停止させるという事件が起こっている。

 今年は、譲位とそれに伴う改元が予定されている年である。「上皇」の地位や今後の天皇や皇室のあり方についての議論はまだ尽くされているとはいいがたい。そんななか、これが政争を呼び起こさないとは限らない。

 また、安倍晋三政権は2020年に新憲法の施行を目指しており、そうなれば19年中の国民投票も現実味を帯びてくる。今年、改憲をめぐる国民投票が行われるということになれば、なおさらである。

 次に想起されるのは、異文化との接触の増加である。文武3(699)年、夜久(屋久島)・奄美(奄美大島)から使者が来貢。南島との通交に関しては、琉球使節に面会した新井白石が『南島志』を著した享保4(1719)年もまた、己亥の年に当たる。弘仁10(819)年には渤海国から使者が訪れ、また元慶3(879)年には「元慶」の乱と呼ばれる蝦夷の反乱が鎮圧された。

 さらに興味深いのは、永仁7(1299)年の元からの使僧・一山一寧の来日と、万治2(1659)年の明の遺臣である朱舜水の亡命である。前者は後に鎌倉の建長寺、京都の南禅寺の住職となり、その弟子たちは「五山文学」と呼ばれる漢文学の文化を花開かせた。また、後者は徳川光圀によって水戸へ招かれ、「水戸学」に多大な影響を与えている。

 今年は、日本で初めて主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)やラグビーワールドカップが開催されるなど、外国からの来訪が多い年となることが予想されている。あるいは、これらのなかに新しい思想や学問的潮流をもたらす人物がいないとも限らない。

 ただ、朝鮮半島との関係は厳しい状況が続くのではないだろうか。応永26(1419)年に朝鮮の上王・太宗は突如として対馬へと侵攻、対馬宗氏の頑強な抵抗を受けて撤退する。この折、多くの島民が朝鮮半島へと連れ去られ、多くが二度と故国の地を踏むことはなかった。また、昭和34(1959)年には北朝鮮への在日朝鮮人の帰還事業が開始されている。これも、いまだその是非について意見が分かれる事柄である。このように、今年は朝鮮半島の二国との間で、双方にとって甚だ好ましくない事態が発生するのではないかと心配である。

日本映画が誕生、テレビの時代が花開いた己亥

 最後に、少し明るい話題を。

 1599年、イギリス・ロンドンにグローブ座が開業した。これはウィリアム・シェイクスピアとその劇団が本拠地とした常設の劇場であり、ここで演じられた作品は今もなお世界中で再演されている。我が国においては、明治32(1899)年に歌舞伎座にて国産第一号の活動写真が上映された。「日本映画」は、ここに誕生の産声をあげたのである。

 また、昭和34(1959)年にはフジテレビジョン、毎日放送テレビ、九州朝日放送テレビが放送を開始、これら民放を中心に「テレビの時代」が牽引されていくことになる。すなわち、何か新しい娯楽の形、またそれを可能とするインフラの普及が期待できる年とはいえまいか。

 また、それは新たに生まれるであろう企業の力によってなされるのかもしれない。明治32(1899)年には、阪神電気鉄道となる摂津電気鉄道、森永製菓となる森永西洋菓子製造所、NECこと日本電気が設立された。さらに、昭和34(1959)年には京セラの前身となる京都セラミックが設立されている。今年も、後に大企業へと成長する新たな事業がどこかで始められるのではないかと、期待されるところだ。

 さて、歴史から「己亥」の年を占ってみたが、いかがだっただろうか。当たるも八卦、当たらぬも八卦。読者諸氏において、発展の年となる一助となれば幸いである。
(文=井戸恵午/ライター)

井戸恵午/ライター

井戸恵午/ライター

フリーのライター。主にWEBメディアで執筆中。

Twitter:@idokeigo

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