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木村貴「経済で読み解く日本史」

白村江の戦いの“信じがたい真実”…なぜ倭国軍全滅の戦争を起こしたのか?

文=木村貴/経済ジャーナリスト
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軍事色の強かった奈良時代前夜の日本

 倉本氏はさらに一歩進め、派兵の真の目的について大胆な説を提示する。

 中央集権国家の建設を目指す中大兄にとって、一番の障碍になっていたのは、伝統的な権益を守るため、中央政府の命に容易に服そうとしない豪族だった。そうであれば、邪魔な豪族を戦争に送り込み、死なせてしまえばいい。突拍子もない考えに思えるかもしれないが、こういう考えは中国では「裁兵」といい、古来からあった。征服した国の将兵は反乱を起こしかねないので、負けてもいい戦いに投入して始末するのだ。

 事実、白村江の戦いから9年後に起こった内乱、壬申の乱では、白村江の戦いに参加した豪族の名はほとんど見られないという。

 白村江の戦いの後の668年、中大兄は正式に即位して天智天皇となり、中央集権化を急ぐ。670年には最初の全国的な戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)が作成され、徴税と徴兵が行いやすくなった。白村江の戦いで地方豪族の勢力が大幅に削減されたことから、中央権力がかなりの程度、地方にまで浸透していく。

 もし朝鮮半島に大軍を派兵した真の目的が、戦争に勝つことよりも、地方豪族の勢力を弱め、中央政府の権力基盤を強化することだったとすれば、そのもくろみは思惑どおりに成功した格好だ。

 しかし、それが一般庶民にとって良いことだったとはとてもいえない。兵となった多数の農民が白村江や朝鮮半島の戦場で命を落とし、生き残った人も多くは異国の土となった。

 天智天皇の死後、壬申の乱を経て、奈良時代前夜の7世紀末、天皇と官僚を中心とする中央集権国家は完成に近づく。当時、北東アジアは平和を迎えていたにもかかわらず、戦争への危機感を煽って建設されたことを反映し、極めて軍事色の濃い国家となった。この中央集権国家の下で、庶民は苛酷な税や兵役に苦しむことになる。
(文=木村貴/経済ジャーナリスト)

<参考文献>
倉本一宏『戦争の日本古代史——好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』講談社現代新書
磯田道史、倉本一宏、F・クレインス、呉座勇一『戦乱と民衆』講談社現代新書
仁藤敦史『NHKさかのぼり日本史(10)奈良・飛鳥 “都”がつくる古代国家』NHK出版

●木村貴(きむら・たかし)
1964年熊本県生まれ。新聞社勤務のかたわら、欧米の自由主義的な経済学や政治思想を独学。経済、政治、歴史などをテーマに個人で著作活動を行う。
twitter: @libertypressjp
ブログ「自由主義通信」 https://libertypressjp.blogspot.com

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