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法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」

竹下通り暴走は稚拙な“テロもどき” 欧米式テロ対策導入議論の無意味さ

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“マンツーマンディフェンス”で成功を収めてきた日本のテロ対策

 世界各地でテロを誘発している要因はさまざまありますが、なかでも大きいのは、民族間・宗教間の対立などによって、国内に多くの不満分子を抱えていること。もうひとつは、強力な銃火器や爆薬などの武器を国内で容易に入手できてしまうことです。そうした背景があるからこそ海外では、「準備十分、計画万全、実行力あり」という“本物のテロリスト”が、その存在や主義主張をアピールする手段としてテロ行為に走る。しかも、テロリスト予備軍は無数に存在するため、それらすべての動向を察知して未然に防ぐのは事実上不可能です。それゆえに、そうした国々におけるテロ対策は、先に述べたような、テロが発生してから現場でいかに対応するか、というものにならざるを得ないわけです。

 これをサッカーにたとえるなら、危険なポイントゲッターにフリーでボールを持たせる状況は避けられないので、全員でゴール前のみの守備を固めるようなゾーンディフェンスを敷くしかない、という感じでしょうか。それで予想外の位置からミドルシュートが飛んでくると、ゴールにスコンと入って終わってしまう。それが海外のテロとその対策のイメージです。

 対して日本の伝統的なテロ・犯罪対策というのは、人間が人間をマークする、いわばマンツーマンディフェンスです。まず、銃刀法などで武器となり得るものを厳しく規制し、そもそも危険なポイントゲッターを生み出しにくくしておく。さらに、警察が普段からコミュニティと連携して各地域の危険なプレイヤーの動向を把握し、決してフリーにしない。それによってシュートそのものを打たせない、つまりテロや犯罪が発生する寸前に対応するのではなく発生しないよう努めることで、治安維持に成功してきたのです。

 隣近所が全員顔見知りで、誰が何をしているかが周囲に丸わかりという、かつてわが国に存在した地域コミュニティは、プライバシーの問題など、いい面ばかりでなかったのは確かでしょう。だからこそ、高度経済成長期以降、われわれ日本人がそれを捨て去るのは自然な流れだった、という言い方もできるかもしれません。

 ただ、少なくとも犯罪抑止という面に関していえば、地域コミュニティが大きな効果を発揮していたのもまた事実です。地域コミュニティから外れたひとりぼっちの者がいれば、各地域に必ずといっていいほどひとりはいる世話焼きな者が声をかけ、悩みを聞いてやる。様子のおかしい住民や不審な外来者を見かければ、すぐさま地域の有力者や警察に連絡する。そういう伝統的な地域のつながりが、犯罪が起きてからではなく、起きる前に防止するシステムとして機能していたわけです。

竹下通り暴走は“テロ”ではなく稚拙な“テロもどき”の自殺行為

 そういうテロ・犯罪とその対策の国内外の差異を踏まえ、改めて今回の事件をながめたとき、どんなことがいえるでしょうか。死者こそ出なかったものの、男子大学生(19)を意識不明の重体に、7人に重軽傷を負わせた結果は、いうまでもなく重大です。ただ、先に述べたような、民族・宗教的対立などを背景とする組織的な“本物のテロ”と同列に語るにはやはり無理がある。たとえ日下部容疑者本人がテロだと主張しているとしても、実質的には多数の人を道連れにしようとした自殺に近い、いわば“テロもどき”の犯罪行為ととらえるべきでしょう。

 報道によると、日下部容疑者が“テロ”を起こす道具として用意したのは、レンタカーの軽乗用車と灯油100リットル、それから高圧洗浄機だったといいます。灯油の引火点は約40度ですから、実は真冬の深夜では火を近づけてもまず引火しない。テロの“武器”として考えれば適当ではありません。軽自動車にしてもそう。どうせ借りるならトラックのほうがはるかに強力な“武器”となったはずです。

 また、計画の杜撰さも目につきます。当初は明治神宮への突入を考えていたのに、現地で車両規制を知り、その場で目標を竹下通りに変更している。おそらく情報収集や下見すらろくにしていなかったのでしょう。先に述べた“本物のテロリスト”と比較して表現するなら、「準備不十分、計画杜撰、実行力不足」の三拍子揃った、あまりに稚拙な犯行というほかありません。

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