ポスト五輪の東京~2020年以降も勝つまち、負けるまち~一極集中を裏で支える東京の本当の実力

東京23区、大規模スーパーが出店しても近くの商店街がシャッター通り化しない謎と答え

東京の商店街や銭湯が過去の遺物にならない理由

 かつて小売店は10時開店、18~19時に閉店が普通だった。セブン-イレブンの名が示す通り、7時に開店し23時まで営業しているコンビニは、ほかの店が閉まっているときでも利用できる、一種の隙間産業として登場する。初期のセブンのキャッチコピーは「開いててよかった」だった。

 公共料金のコンビニ支払いが始まった1987年を境として、コンビニは急増していく。それは、コンビニが物販施設からコミュニティ施設へと進化していく過程でもある。「開いてます」だったローソンのキャッチコピーは、91年に「マチのほっとステーション」へと変わる。今やコンビニは、公共料金の支払いはもとより、各種チケットの発券、預金の預け入れや引き出し、通販購入商品の受け取りなど、物販施設の域を大きく超えた存在へと姿を変えた。

 そんなコンビニでも、店員との会話は無機質なマニュアル問答でしかない。これに対して、商店街での買い物はまずコミュニケーションから始まる。顔馴染みになると、話題が的を射てくるから会話も弾む。お年寄りや子どもたちの見守りも、商店街の大きな役割だ。2011年の東日本大震災は平日の昼に発生したが、住宅地でこの時間帯にまちの事情に精通している男手が集まっている場所は商店街くらいしかない。

 商店街の最大の存在価値は「まちのキーステーション」であること。東京では、今もその機能が保たれている。

 情報は東京から地方へと伝播していく。しかし、情報量が多くなれば、その内容は表面をなぞるだけのものになってしまう。たとえば、入浴の効果を高めるグッズやノウハウの情報はあふれていても、要するに興味の対象は「入浴」という行為だけ。だとしたら、銭湯はノスタルジーか物珍しさの対象にしかなり得ない。商店街もまた然りで、モノを買うだけの場所となれば、スーパーとの勝負は厳しい。かくして、銭湯も商店街も過去の遺物と化していく。

 しかし、情報の発信源である東京は銭湯や商店街のもうひとつの価値をしっかりと評価し続けている。

「東京ひとり勝ち」とは、パワーゲームの結果として東京だけが勝ち残ったのではなく、日常生活の価値評価において、地方が次々と白旗をあげていった結果だったのではないだろうか。一番肝心な人々の日々の生活のあり様を「東京発」という名ばかりの薄っぺらな情報に一方的に委ねた時点で、商店街と同じように地方は内部から崩壊を始めたのではなかったのだろうか。

 東京の商店街や銭湯を前にしたとき、筆者にはそんな想いがよぎってくる。
(文=池田利道/東京23区研究所所長)

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