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法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」

強姦冤罪事件を生み出した“プロ失格”の検察と裁判所が“14歳の少女”のウソを見抜けず

河合幹雄
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強姦冤罪事件を生み出した“プロ失格”の検察と裁判所が“14歳の少女”のウソを見抜けずの画像3「Getty Images」より

「有罪率99.9%以上」を支える日本の裁判所

 そのような検察官に輪をかけてプロ失格というしかないのが、この事件を裁いた裁判官でしょう。私を含め多くの専門家が常々指摘していることですが、日本の刑事裁判においては、裁判官が、法に基づいて自己の判断で人間を裁くという、裁判官として本来与えられている役割を果たしていないケースが多々見受けられるのです。そして、まさにその点こそが、この事件においても冤罪を生み出す最大の要因になったと考えられます。

 この事件の裁判官は、検察と同様、少女の虚偽の証言に基づく検察の描いた事件のストーリーをまったく疑うことなく、有罪判決を下してしまった。ただ、日本の刑事裁判において、これは決して珍しいことではありません。多くの裁判で、検察の主張はほぼ自動的にそのまま採用されてしまいます。よく知られた事実ですが、検察が起訴したら、裁判所はそれに対してほとんど異を唱えず、99.9%以上の率で有罪判決を下してしまうのです。

 極論すれば、日本の刑事裁判で人間を裁いているのは、事実上、裁判所ではなく検察である、といういい方もできてしまうわけです。まさに今回の冤罪事件は、そうしたわが国の司法の抱える欠陥によって引き起こされたとしかいいようがありません。

「人間はウソをつく、ゆえに客観的証拠が重要」という基本

 そもそも私としては、この裁判官の「14歳の少女がウソをつくとは考えにくい」という、人間に対する理解の仕方からして、首をかしげざるを得ません。皆さん、胸に手を当てて考えてほしい。人間というのがいかに簡単にウソをつき、つじつまを合わせるためにさらにウソを重ねるものであるかを。そして、子どもの頃は特にそうであることを。

 もちろん多くの場合、ウソをつくのにはそれなりの理由があります。この少女にも理由はあった。先述の通り、少女の母親は男性の妻の連れ子ですが、実はこの母親が少女時代、男性と肉体関係を持っていたことが裁判の過程で明らかにされ、これについては男性も事実と認めています。そして、これはのちにわかったことですが、あるとき少女が、男性に尻を触られたことなどをこの母親に訴えたところ、母親から、おそらく母親自身の過去を踏まえて「強姦されたのでは」と強く問い詰められた。それで少女は引っ込みがつかなくなり、強姦されたとウソをついてしまった―ー。そういう複雑な事情が背景にあったようです。

 大阪地裁は当初の判決文で、「(14歳の少女がウソをついて男性を告訴するというような)稀有なことがあるとすれば、よほどの特殊な事情がなければならない」とし、そのような事情は一切認められないと断じている。しかしながらこのケースにおいては、まさしくそのような“特殊な事情”があったわけです。

 そういう、常識では測れないことの起こる可能性は、いかに低くてもゼロではない。だからこそ刑事裁判では、今回のケースにおけるカルテのような客観的な証拠というものが、何よりも重要な意味を持つのです。人間を裁く裁判官たる者が、そんな当たり前のことを忘れてしまったのでしょうか。裁判官が、人間はウソをつく、だから性的被害の証拠を探すべきだ、というごく基本的な思考をたどってさえいれば、冤罪は回避できたと私は思います。

 次回は、この冤罪事件で国家賠償請求を認めないことの不当性と、そこから垣間見える日本の司法における人事のからんだ問題について考えてみたいと思います。
(構成=松島 拡)

強姦冤罪事件を生み出した“プロ失格”の検察と裁判所が“14歳の少女”のウソを見抜けずの画像4
●河合幹雄(かわい・みきお)
1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著作に、『日本の殺人』(ちくま新書、2009年)や、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)などがある。twitter:@gandalfMikio

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