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法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」第10回

“強姦冤罪事件”国家賠償請求を棄却、なぜ「公務員のミス」は許されてしまうのか?

河合幹雄
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事件を担当した検察官・裁判官は糾弾されるべきか

 国家賠償法というのが、たとえもともとそういう成り立ちのものであったとしても、今回の冤罪事件における検察・裁判所のミスは明らか。これを契機として、「過失によって違法に他人に損害を加えたとき」という法の条文に立ち返り、国の賠償責任を認めるべきだと私は思います。

 ただ同時に、ネットなどでは事件を担当した検察官や裁判官の実名を挙げ糾弾するような声さえ高まっていますが、必要以上に個人を攻撃するのは、控えるべきだとも思います。検察官や裁判官とて人間であり、ミスをすることはある。もしそれが絶対に許されないということになれば、司法の場において検察官や裁判官がミスを恐れて萎縮し、犯人であると確信できないような怪しいケースをあえて追わずに見逃してしまう、というようなことも起きかねない。それは結局のところ、社会的損失として国民自身に跳ね返ってきます。

 公務員に限らず、組織内のある個人が犯したミスについて、その個人を糾弾したくなる気持ちは、一般感覚としては大いにわかります。しかし、それをあまりにも追及してしまうと、結局のところ個人攻撃で終わったり、あるいはそのミスを生んだ背景にあるものを考える契機をなくしてしまいます。繰り返しますが、そのことは結果として、我々国民の不利益として跳ね返ってくる可能性もまた、はらんでしまうわけです。

 それに、検察官や裁判官が、冤罪を生んでもなんら制裁を受けていない、と考えるのは誤りです。罪を着せられた者とは比較にならないとはいえ、検察官や裁判官にとっても、自分のせいで冤罪を引き起こしてしまうというのは精神的に大きな打撃であり、また出世という実利面においても消しがたい“黒星”となるからです。

 今回の女性検察官の場合、2015年の再審で無罪が確定したのち、2017年に司法研修所の検察教官に就任したようです。司法研修所の教官は出世コースとみなされているため、一見不可思議な人事ではある。しかし、今回の冤罪事件を踏まえ、この検察官に対し、「現場向きではないが、人にものを教える専門の教師としては有能」といった人事上の判断が下された、とも解釈できます。

 もちろん、それはただの推測にすぎません。しかし、ひとつ確かにいえること。それは、冤罪によって幸福を得る人間はひとりもいない、ということなのです。
(構成=松島 拡)

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●河合幹雄(かわい・みきお)
1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著作に、『日本の殺人』(ちくま新書、2009年)や、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)などがある。twitter:@gandalfMikio

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