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【終末期医療】物議醸す古市憲寿氏・落合陽一氏対談への反論…重大な4つの事実誤認

構成=片田直久/フリーライター
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 4つ目は、古市氏の「つまり医者って後期高齢者に対しては九割公務員。しかも本当の公務員と違って、患者を治療するほど儲かる仕組み」という発言。これも違っています。社会保障費削減の一環として、2003年に診断名ごとに1日当たりの医療費を定額にする包括医療費払制度(DPC)が導入されました。ひとつの傷病の診断や治療を行った多くの場合、医療費はあらかじめ決まっています。医師の側がいくら丁寧に治療しようと思っても、入ってくるお金は変わるわけではない。一生懸命治療すればするほど医療機関は金銭的に損をする方向に、どんどん向かっているのが日本の現状です。

 こうした最低限の基本的なこと、大前提が現状とはまったく違うまま、「思いつき」「放言」というべき発言が続いている。2人の対談でもっとも大きな問題はこの点です。少なくとも、古市氏は社会学者を名乗る以上、これらの事実は分析するための前提。そこを踏まえないまま分析なるものをするのは、学者、言論人として失格でしょう。

 とりわけ残念だったのは、落合氏のほうです。対談のなかでほかのテーマについては独自性のあることをいくつも述べており、私も教えられました。ところが、終末期医療に言及した途端に陳腐なことしか言えない。言論人として彼があの場に出ている必然性がまったくなくなっています。「落合氏も結局はこの程度の人間か」と、私はがっかりしました。

2つの尊厳死法案と政治家の放言

 彼らの発言は氷山の一角にすぎないでしょう。知識人に限らず、私くらいまでの世代で終末期医療や安楽死について同じように思っている人は、少なくないのではないでしょうか。結局、この対談、あるいは対談に象徴される今の若い人の多くの生命観や医療観には、感性と想像力と文学性が欠如している。これが根底的な問題です。

 たとえば、本当に終末期、特に最後の1カ月に一番医療費がかかっているとしましょう。自分の祖父母がそうした事態に瀕したとき、どんな状態になっているか。そのぐらいのことがなぜちょっとでも脳裏によぎらないのか。

 対談では、古市氏の「胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一ヶ月は必要ないんじゃないですか」という発言くらいしか、終末期医療への具体的な言及はない。しかし、一般的に終末期でもっとも問題にされてきたのは人工呼吸器の話です。

 古市氏も落合氏も、「今から10分間呼吸を止めておいてください」と言われてできるでしょうか。できるわけがない。本当に容態が悪くなり、呼吸にあえいでいる患者をほったらかしにしたり、ましてや一度つけた人工呼吸器をいきなり外したりする。それがどんなに苦しいことか。どれだけ残酷なことか。そのことへの想像力が、あらかじめ吹き飛んでいます。

 古市氏は芥川賞候補になった人だし、落合氏も小説を書いた経験について対談のなかで触れている。それにしては、2人の発言には文学性があまりにも欠落しています。ここでいう文学性は「生身性」と言い換えてもよいでしょう。

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