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47歳で逝った妻の受けた治療は“正しかった”か? 遺された夫が語る、がん治療の現在

構成=安楽由紀子
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47歳で逝った妻の受けた治療は“正しかった”か? 遺された夫が語る、がん治療の現在の画像6まだがんが見つかる前の夫婦でのツーショット。

痛みにのたうち回るような最期は回避できた

 菊地さんは、ナオミさんの闘病における最後の転換期として、最期の1週間を挙げている。転移した肝臓がんの進行が早く、すでに抗がん剤治療も手術も行えない状態。ナオミさんは大学病院をいったん退院し、彼女の闘病を知っている限られた友人たちと一緒に、食事会を開いた。そののちすぐに入院。苦しみを極力避けるため、モルヒネの点滴を行っていく。

――長い治療の中でも、最期のその1週間は、それ以前の治療とは状況がまったく違ったということですか?

菊地貴公 闘病4年間のうちの1週間という短い期間ですが、あっという間に、急速に状態が悪化するのを目の当たりにしました。昼に退院したときと夜とでさえ、まったく様子が違うほど。5時間くらいの間に、急にげっそりとしてしまう。家の中の移動でさえ、おんぶが必要なほど動けなくなり、本人もくやしがっていました。

 ナオミちゃんは、「生きたいわけじゃない、死にたくないの」と言っていました。当事者の闘病ブログでは、ある時期に急に更新が止まり、しばらくしてご家族によって「ご報告、◯◯は旅立ちました。最期は凄絶な痛み、苦しみと闘いましたが、今は楽になったと思います」といった文章が書かれるケースがたびたびあったからです。つまり、痛い、苦しいというのが嫌だと。

 けれどナオミちゃんは、最期の1週間までは普通にごはんを食べたりおしゃれをしたりしていましたし、動けなくなってからは入院してモルヒネを打ち、痛みを感じることもあまりなく、夢みたいなことばかり言って混濁状態になり、そして3日後に亡くなりました。本を出版したのは、「がん患者は苦しい最期を迎えるばかりではない」ということを一般の方にも知ってほしいという思いからでもあります。もちろん、4年間のほほんと闘病していたわけではなく、自宅で青い顔をして「おなかが痛い」と苦しんでいたことも何回もありますし、脳に転移して顔面麻痺にもなりました。ただ、一番恐れていた、痛みにのたうち回るような最期の瞬間は回避できました。

――川島なお美さん(2015年9月に胆管がんで死去)や小林麻央さん(2017年6月に乳がんで死去)が亡くなった際には、代替医療や民間療法など、一般的には「エビデンスがない」「治療効果がない」との批判もある治療について、取り沙汰されました。ナオミさんの場合、治療についてご夫婦で意見が分かれたことはありましたか?

菊地貴公 がんが発覚したばかりの頃は、よくわからないサプリのようなものを買って飲んだこともありました。けれど、あえて話し合ったわけではありませんが、お互い早々に、暗黙のうちに「こういうものは違うね」という雰囲気になりました。私はマスコミ業界に身を置いているという職業柄、ある程度は情報に対して敏感なところもあったし、ナオミちゃんも、いろいろな情報をネットでとことん調べるタイプだったからかもしれません。さまざまな治療法に惑わされる気持ちもわかります。実際、私たちも一瞬惑わされましたから。そこで意見が合わずにけんかになる夫婦もいるかもしれない。

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