法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」第11回

野田市小4虐待死、教育委員会のあり得ない大失態…悪質クレームには躊躇なく弁護士を

法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」

第10回 2019年1月、千葉県野田市小4虐待死事件の背景にある、“クレーム対応のプロ”を内包しない教育委員会の構造的欠陥

 2019年1月、千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛さん(10)が自宅浴室で死亡し、父親の勇一郎容疑者(41)と母親のなぎさ容疑者(32)が傷害容疑で逮捕された事件。両親の証言により、しつけと称して胸の骨が折れるほどの暴力を加える、真冬にもかかわらず廊下と浴室で生活させる、食事を与えない、といった虐待の実態が明らかとなり、社会に衝撃を与えました。

 ただ、犯罪とその防止策について長く研究してきた私にとって、そうした虐待の凄惨さに劣らぬほど衝撃的だったのは、心愛さんが2017年11月、「お父さんにぼう力を受けています」などと回答した小学校でのアンケートのコピーを、あろうことか野田市教育委員会が、虐待の疑われる勇一郎容疑者当人に渡してしまっていたことです。

 市教育委員会の担当者の説明によると、勇一郎容疑者は連日小学校を訪れて「訴訟を起こすぞ」「アンケートの実物を見せろ」などと執拗に抗議。小学校側から指示を仰がれた市教育委員会の担当者は、威圧的な態度の勇一郎容疑者にどんどん追い詰められていくような恐怖を感じ、最終的にアンケートを見せてしまったのだそうです。これを受けて柴山昌彦文部科学大臣は、「悲惨な事件のひとつの遠因になったのではないかと強く思う」と述べましたが、あのアンケートを勇一郎容疑者に見せたら虐待のリスクがさらにどれほど高まるか、誰でも容易に想像できたはずです。

 アンケートには、「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」というただし書きがあった。おそらく心愛さんはその言葉を信じて勇気をふり絞り、「夜中に起こされたり、起きているときにけられたり、たたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」と訴えた。その気持ちを踏みにじる市教育委員会の対応は、誰から見てもまったく信じがたい、あり得ない失態です。市教育委員会には抗議が殺到しているようですが、それも当然のことでしょう。

 しかしその反面、犯罪社会学の立場から見たとき、いわゆる“クレーム対応のプロ”をシステムとして内部に抱えていない現在の学校や教育委員会といった組織が、この種の暴力的・威圧的な攻撃に対して脆弱なのも無理はない、とも思うのです。不幸な事件を二度と繰り返さないため、今なすべきことはなんなのか、今回のケースをもとに考えてみたいと思います。

自宅浴室内で倒れていたという栗原心愛さん。冷水を浴びせられるなどし、肺には水が残っていたという。(写真はイメージです。「Getty Images」より)

「訴訟ちらつかされ怖かった」は言い訳にならない

 訴訟を起こすと言われて恐怖を覚えた、という市教育委員会の担当者の弁明から私が強く感じたのは、この組織は強硬なクレームに対する基本的な準備、心構えからしてそもそもできていなかったのだな、ということです。

 確かに訴訟となれば、かなりの手間と金をかけて対応せざるを得なくなります。一般感覚として、またいち組織人として、そういう事態に発展することを恐れ、なんとか避けたいと思うのは自然なことかもしれません。

 しかし、ある程度クレーム対応の経験のある人ならわかると思いますが、クレームの中でもっともやっかいなのは、まさに勇一郎容疑者のような“話の通じない”人間が連日こちらのテリトリーにやって来ては、暴力的な言葉を一方的にまくし立てていくような状況です。実際問題として、延々とその対応に追われるぐらいなら、あるいはそうなりそうな気配なら、さっさと訴訟を起こしてくれるほうがはるかにマシ。そうすれば、少なくとも“話の通じる”相手方弁護士が出てくるので、勝ち負けはともかく、解決へ向けた建設的な努力が可能になる。いわば、いつ終わるとも知れない消耗戦から脱し、ゴールの見える大人同士の論理戦へ移行できるわけです。

 ましてや学校や教育委員会というのは、子どもを守るという重大な責務を負う組織。その目的のために必要とあらば、多少面倒でも訴訟を選択することも辞さない覚悟を普段から持っていてしかるべきです。

 それにもかかわらず今回、市教育委員会の担当者は、訴訟をちらつかさられたことを、勇一郎容疑者からの要求をはねつけられなかったことへの言い訳として使ってしまった。それはさすがに言ってはいけない。その厚顔さ、責任感のなさが、私にとっては衝撃であり、今の学校や教育委員会はそこまで人材不足なのか、と痛感させられました。

千葉県野田市の公式サイトには2月6日より、「小学女子児童虐待事件についてのお詫び」が教育長名で掲載されている。

教育委員会のトラブル対処能力の欠如は必然か

 では、そもそも教育委員会というのはどういう人たちの集まりなのか。これは、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第4条において、「教育長は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育行政に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」「委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」と規定されています。また、そのもとに設置される事務局については、同法第18条において、「指導主事、事務職員及び技術職員を置くほか、所要の職員を置く」とされています。

 要するに教育委員会とは、あくまで教育の専門家と、その教育関連の活動を支える事務方のみで構成された組織ということになる。つまり、少なくとも公式には、民間企業における法務部やカスタマーセンターのような、トラブル処理専門の部署や人材を抱えていないわけです。ゆえにトラブル発生時には、素人ながらクレーム処理の得意な人が駆り出されることになる。当然、組織内にそうした人材が全然いないこともあり得るわけで、そういう場合に今回のようなことが起きてしまうのです。

 民間企業では昔から、法務部のような専門部署とは別個に、クレーム対応の要員として警察OBを雇用しておく、あるいはケースによってはヤクザをも雇う、といったことがなかば公然の秘密として行われてきました。もちろん、天下りや暴力団への風当たりが強まり規制や対策の強化された今日、特に教育関連の組織にとって、彼らの力を借りるという選択肢はまずあり得ません。

 では、誰を雇うのか。それは弁護士です。彼らこそ、まさにその道のプロ。ましてや、1999年に始まった司法制度改革によって弁護士は急増し、仕事を欲している者も多い。今回のような悪質なクレームへの対応を迫られたとき、彼らを利用しない、そもそも思いつきすらしないというのは、まったく理解できません。

教育現場と弁護士・警察の連携を積極的に進めるべき

 もちろん、弁護士を雇いたいと思っても、都道府県の教育委員会ならまだしも、今回のような市町村レベルの教育委員会にはそのための予算の確保が難しい、現場の担当者の一存ではなかなか決められない、という事情もあるでしょう。しかし、弁護士の利用を避けることで結果的に高くついてしまう、場合によっては取り返しのつかない事態になってしまう可能性があることは、今回の事件ではっきりわかったはずです。

 遅きに失したとはいえ、再発防止策を検討するために設置された野田市の合同委員会は、教育現場における弁護士の重要性に気づいたようです。市幹部や有識者で構成される同委員会は2019年2月28日、市内の小中学校を対象に、弁護士が学校での法的相談に乗る「スクールロイヤー」を来年度中に導入し、学校と保護者との面談にも必要に応じて同席させることなどを決定しています。

 また、例えば2017年9月、福岡市内の私立高校で男子生徒に暴行されたとして男性教師が警察に被害届を提出し、男子生徒が逮捕された事件のように、近年、教育現場が警察力に頼ってトラブルに対処するケースも増えてきています。これは、教育現場で犯罪行為が行われたときには警察と連携していくよう指導する、という文部科学省の方針に沿うものです。

 教育現場での事件に警察を介入させることへの危惧や批判はあります。しかし、今の教育関連の組織は、そもそもトラブル対処能力を確実に担保できるようなシステムになっていない。今回の虐待事件における教育委員会と学校の失態、そして心愛さんの死は、弁護士や警察など、外部のトラブル処理のプロの力を借りるという方針が決して間違ってはいないことを、なにより雄弁に物語っているのではないでしょうか。
(構成=松島 拡)

河合幹雄

1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著作に、『日本の殺人』(ちくま新書、2009年)や、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)などがある。

Twitter:@gandalfMikio

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