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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

私が東日本大震災の被災地でベートーヴェン『第九』“歓喜の歌”を演奏、涙あふれた出来事

文=篠崎靖男/指揮者
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 学園側も深く理解を示し、方々に奔走して下さった結果、被災地の大船渡で『第九』をできることになりました。大船渡は約500名の死者・行方不明者が、23メートル以上の高さの津波に飲み込まれた市です。そんななかで、開催場所の大船渡市民文化会館リアスホールは高台の上に位置していて、奇跡的に被害を免れていたのでした。

被災者から多くのものを受けた演奏会

 2011年12月16日のコンサート当日、僕は朝早くに仙台を出発し、大船渡に向かっていました。東北文化学園の合唱団と、同じくボランティアで参加してくれていた東北大学の学生オーケストラも同じ場所に向かっていました。彼らの多くは東北出身で、家族や友人が被災している方々も数多く、そんななかで学園側が特に心配していたのは、あるひとりの女子学生のことでした。

 彼女自身は被災していなかったのですが、当時付き合っていた彼氏が津波に飲み込まれてしまいました。彼は幸運にも九死に一生を得たのですが、それ以来、彼女は海を見ることができなくなっていました。海を見るとパニックを起こしてしまうのです。大船渡に行くには海辺を走り、被災地を通過する必要があります。彼女は「自分がどうなるかわからない」と言っていたそうです。それでも、彼女は立派に『第九』を歌い上げてくれました。震災から9カ月たっていても、そんな方は多かったと思いますし、最初に書かせて頂いたように、今もなお、トラウマに苦しんでいる方が多くいるのです。

 さて、僕が乗っていた自動車は、気仙沼の手前で通行止めになっていた高速道路を下り、空き地のようなところを走っていたのですが、急に運転手が何もないところを指さして、「ここにも家があったんですよ」と話し始めました。この方も、当時は避難所暮らしをしていたのです。そして、気仙沼市内に入ると、テレビで見た、津波で建物の上に乗ってしまった漁船が見えてきたのですが、僕は不思議なことに茫然としていました。人間は、極度な驚きが続くと、感情が無くなるのかもしれません。

 その後、被災地最大の約1800人の死者・行方不明者を出し、市全体が壊滅してしまった陸前高田に入りました。高台に急ごしらえされた仮店舗で休憩しながら、何も無い市内を眺めていても、悲しみや嘆きの感情が出てきません。ただ自然と涙が流れるのでした。わずか1年前には、子供たちが走り回り、老人たちはそれを幸せそうに眺め、大人たちも大声で笑ったり、泣いたりしていたのです。その後、当たり前の幸せが一瞬で奪われた町や小さな村をたくさん見ながら、大船渡に到着しました。

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