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天皇のお名前の秘密 裕仁、明仁、徳仁…なぜ「○仁」が多い?

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嵯峨天皇像とされる御物(嵯峨天皇は第52代、在位は809〜823年。写真はWikipediaより)

日本人成人男子の名前を決めた嵯峨天皇

 最近の男子皇族のお名前は、「○仁」というケースが圧倒的に多い。しかし、大化の改新の中大兄皇子は即位して天智天皇(38代)になったし、壬申の乱の大海人皇子は天武天皇(40代)になった。「○仁」というお名前、さらに踏み込んでいうと、漢字2文字で訓読みのお名前はいつ頃から始まったのか。

 そもそも、諱を漢字2文字にしたのは、嵯峨天皇(52代)である。嵯峨天皇は漢籍に通じ、書では「三筆」のひとりに数えられる人物なのだが、子どもが非常に多かった。少なくとも50人以上はいた。子どもを全員養っていくと官費を圧迫するので、“1軍”と“2軍”とに分け、1軍は皇族、2軍は皇族離脱させて源(みなもと)の姓を与え、臣下とした。

そして、1軍の皇族組には漢字2文字の訓読みの名前、2軍の離脱組には漢字1文字の訓読みの名前を付けた。それ以降、貴族の間で漢字2文字の訓読みの名前が爆発的にヒットし、以降、日本の成人男子の名前(諱)の主流となったのである。

ちなみに、「○仁」という諱を初めて名乗ったのは、清和天皇(56代、惟仁:これひと)だが、それ以降はなかなか定着せず、後冷泉天皇(70代、親仁:ちかひと)以降に「○仁」という諱が主流となった。

嵯峨天皇が漢字2文字の諱を始めた頃には兄弟が同じ一字を使う傾向にあったが、ちょうどその、後冷泉天皇の頃から、親の一字を子が受け継ぐ――長嶋茂雄の子が一茂と命名されるような――風潮が始まったのだった。

諡号・追号の違いとは

 さて、死後に贈られる諡。厳密には諡号(しごう)と追号(ついごう)があるという。追号というのは、天皇のゆかりの地名や建物などに由来するもので、別邸の地名から取った白河(72代)、堀河(73代)、鳥羽天皇(74代)などが有名である。ちなみに明治天皇(122代)以降は元号が「一世一代」となり、元号がそのまま追号とされている。だから、「裕仁天皇は昭和天皇になるんだろうなー」とみんな薄々感じていたわけである。

これに対し、諡号は天皇を顕彰する名前で、生前にゆかりのある地名や業績とは無関係に命名される場合が少なくない。たとえば、神武(初代)、天智(38代)、天武(40代)、桓武天皇(50代)などである。業績に関係ないので、諡号にはあまり規則性はないはずなのだが、かといってまったくないわけでもない。

 例えば光仁天皇(49代)以降、傍系から即位した天皇は「光○」という諡号になっている。ちなみに北朝の天皇も正式な天皇と認めてられていないせいか、北朝5人のうち、3人が「光○」、1人は「○光」天皇である。

また、崇徳天皇(75代)以降、配流された天皇は「○徳」という諡号になっている。なお、承久の乱に敗れて隠岐に配流された後鳥羽天皇は、もともと顕徳天皇という諡号だったのだが、孫の後嵯峨天皇がそれじゃ外聞が悪いということで、後鳥羽天皇という追号を贈ったのだという。

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