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榎本博明「人と社会の役に立つ心理学」

安倍政権、親のしつけ名目での体罰禁止を閣議決定…虐待と愛情ある体罰の混同に呆れる

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問題なのは、体罰よりも心の構え

 
 急に浮上してきた体罰禁止の法制化の背後にある、親の体罰までも法律で禁じようという発想も、同じような混同によるものといえる。冷酷な親や未熟で自己中心的な親による凄惨な虐待と、子どもの将来を思って厳しくしつけようとする親によるちょっとした体罰は、同一次元で論じられるようなものではないだろう。

 子どもを虐待している親が「しつけの一環の体罰だった」と言い逃れするのを防ぐ必要があるとか、体罰の延長線上に虐待が発生してしまうのだといった意見も耳にするが、それは重要なことを見逃している。

 わが子に深刻なケガを負わせたり、食べ物を与えなかったり、犬のようにヒモでつないだり縛ったりして行動の自由を奪ったりして、生命の危険を感じさせるような虐待をする親と、子どもの将来を考えて物事の善悪を叩き込み、がんばる力を身につけさせるために、ときにお尻を叩いたりする親とでは、心のありようがまったく違う。

 後者の場合、前者のような致命的なダメージを子どもに与えるようなことはあり得ないし、子どもの側も、その時は反発することがあっても、のちに反省するなど、叱られた理由をちゃんと理解し、行動を修正しようとするものである。

 体罰を一律に法的に禁止するとなると、そのような教育的な指導をしている愛情深い親の行動も非難されるだけでなく、法的な措置をとられることになる。

 教育の世界では、もうずっと以前から体罰は禁じられている。私の子どもの頃は、先生に殴られるなど日常茶飯事だったが、今では授業中態度が悪く言うことを聞かない生徒を殴るのはもちろんのこと、教室の後ろで立たせたり、反省のために正座させたりするのも体罰とみなされ、禁じられている。

 そればかりか、きつい叱り方をしたりすると保護者から子どもが傷ついたとクレームが来るため、先生たちは生徒がどんなに態度が悪くても、義務を怠っても、厳しく叱ることができなくなっている。

 大学でも同じだ。ある先生は、授業中何度注意してもおしゃべりをやめず態度が悪い学生を厳しく注意したら、その学生が「先生からきついことを言われ傷ついたから、先生を替えてください」と教務に訴えたといって嘆いていた。

 私自身も、社会化されていない学生の反応に呆れることが少なくない。
 
 たとえば、授業中に寝ている学生を注意したら、「明け方までバイトしていたんで、寝かせてください」と要求する。午後の授業に毎回40分ほど遅刻してくる学生に注意すると、「これでもがんばって10時台に起きて11時台に家を出てるんです。家が遠いんです」とこぼす。毎時間遅刻しながら一番前の席にやってきて、私の目の前で紙パックのジュースを開けてストローでチューチューやり始める学生に、遅刻したら少しは申し訳なさそうにするもんだぞと諭すと、「やっぱ遅刻はまずいっすかね」と言う。これまで遅刻して叱られたことがないから、よくわからないと言う。

 そんな時代だからこそ、親がきちんとしつけて、自信をもって社会に出られるようにしてやらねばならないし、ちょっとした叱責でへこたれることがないように心を鍛えてやらねばならない。

 このように考えると、虐待防止と親による体罰の問題は、切り離して考えるべきなのではないだろうか。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)

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