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松下幸之助の孫、パナソニックを去る…創業から100年の人事抗争と“松下創業家”の思惑

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想定外だった創業家の敗北

 松下興産は松下家の資産管理会社で、幸之助亡き後、松下電器産業の大株主として唯一残っていた松下家の牙城である。幸之助が1983年まで社長を務め、それ以降は、正治の娘婿である関根恒雄が社長に就任していた。

 時あたかもバブル経済が到来し、建設、不動産業界でデベロッパー商法が盛んになると、関根は松下興産をデベロッパー企業に転身させた。ところが、和歌山のリゾート施設、マリーナシティなどへの過剰な投資により、2000年に7700億円もの有利子負債を抱えてしまう。ここに至って松下電器産業は松下興産の再建に乗り出し、2001年に関根を更迭。2005年に松下興産は清算された。

 2000年、松下興産の件の責任を取って、正治は会長から名誉会長に退き、副社長の正幸は副会長に棚上げされた。副会長は通常「アガリ」の役職で、副会長から社長に就任することはない。ここに、正幸の社長就任の芽はついえてしまったのだ。

 そして2008年、松下電器産業は社名をパナソニックに改称。創業者色を払拭した。意外にも幸之助は、社名に「松下」の名前が付いていることを誇りに思っていたという。さぞや泉下で悔やんでいるだろう。

 これに対し、本田宗一郎は本田技研工業(通称・HONDA)の社名に自らの姓を付けたことを後悔していたが、同社が今なおこの社名を維持しているのは皮肉というほかない。(敬称略)
(文=菊地浩之)

●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『徳川家臣団の謎』(角川選書、2016年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)など多数。

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