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上昌広「絶望の医療 希望の医療」

“不健康な”女性アスリート…身体を蝕む貧血問題、無月経・摂食障害・骨粗鬆症の苦しみ

文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

 2015年にドイツのチーマン医師らが発表した報告によれば、摂食障害の頻度は審美的な競技で17%、球技で2%、アスリート以外で2%だったという。2004年のノルウェーの報告では審美的競技は42%、持久走24%、球技16%だった。世界のトップアスリートがいかに不健康か、皆さんの想像を超えるのではなかろうか。

 当然、貧血も問題となる。貧血はアスリートのほうが悪化しやすく、男性でさえ問題を起こすことがある。常勝を誇った帝京大学ラグビー部が貧血対策を行なっているのは有名な話だ。陸上競技の日本代表だった菅野優太氏は、現役時代に重症貧血で緊急入院したことがあることを明かしている。主治医から「このまま放置すると死ぬ」と言われたそうだ。

 アスリートが貧血になりやすいのは、筋肉の細胞がミオグロビンという形で鉄を利用するからだ。運動時には筋肉で消費された酸素を、ヘモグロビンからミオグロビンに受け渡す形で補充される。アスリートは筋肉の分だけ、普通の人より鉄の需要が多い。

 また、アスリートはトレーニング時に汗から鉄を消失し、消化管から微量の出血が起こるため、鉄を喪失しやすい。さらに、陸上や剣道のような踏み込みが強い競技では、踵で赤血球が壊され、尿から排出されるので貧血になりやすい。激しい運動をしたあとに血尿が出たというのは、ほとんど、このパターンだ。かつて長距離を行軍した軍人に多く見られたため、行軍血色素尿症と呼ばれている。このような要因が絡み、アスリートの貧血はハイリスクだ。

 貧血はさまざまな弊害をもたらす。たとえば、妊娠・出産すると、未熟児を産むリスクが2割程度高まる。貧血は妊娠早期の胎児の成長を阻害するが、妊娠早期には悪阻があり、経口では鉄剤は補充しがたい。アスリートに限らず、妊娠世代の若年女性は平素から貧血予防が必要だ。少なからぬ人が注射を要する以上、鉄剤の過剰注射の極端なケースを大袈裟に騒ぎ立て、使用のハードルを上げるべきではない。問題ケースに対して、個別に対応すればいい。

鉄の補充は医学界の趨勢

 さらに近年、世界の医学界で注目を集めているのは、貧血ではないが、体内の鉄が欠乏している人たちだ。今回の議論では、この点がまったく考慮されていない。人体はヘモグロビンやミオグロビンのかたちで鉄を使うだけでなく、肝臓などに大量の貯蔵鉄を持っている。出産や大出血に備える意味があるのだろう。貯蔵鉄を評価するには血液中のフェリチンという物質を測定すればいい。これは、一般のクリニックでも実施できる検査だ。

 このような貯蔵鉄が不足している潜在的な鉄欠乏の人に対し、経口であれ、注射であれ、鉄剤を投与すると、疲労感が軽減し、身体パフォーマンスが改善したという報告は多数ある。現在、医学界の趨勢は、このような女性に対し鉄を補充するようになっている。

 ところが、わが国の健康保険で鉄剤の投与が認められているのは「鉄欠乏性貧血」だけだ。潜在的な鉄欠乏の患者に鉄剤を投与しようとすれば全額自費となる。この点はまったく考慮されていない。

 アスリートに対する鉄補充についても多くの研究がなされている。なかには有効という報告もある。たとえば、2014年に豪キャンベラ大学の研究者らが発表した論文によれば、6週間の間に3回、陸上選手に鉄剤を注射したところ、3000メートル走ではタイムは改善しなかったが、400メートル走では0.8秒短縮し、これは統計的に有意だった。

 この研究では、貯蔵鉄が不足していた人と、足りていた人を分けて解析はしていない。アスリートに対する鉄補充の効果が何に由来するか、現時点ではわからない。もし、貯蔵鉄が不足しているアスリートに、鉄を投与し、その結果、競技成績が向上したら、それはドーピングというのだろうか。

 では、どうすればいいのだろう。アスリートの立場に立ち、選手・指導者・医師らが試行錯誤を繰り返すしかない。貧血の治療の基本は鉄剤の経口投与だ。一錠に数mgの鉄しか含まないサプリメントでなく、一錠に50mgの鉄が含まれる医療用医薬品を服用しなければならない。鉄は経口で投与する限り、体内に過剰に取り込まれることはない。安全性が高い治療だ。

 ところが、鉄剤を服用すると40%程度の人が嘔気を生じ、ときに嘔吐する。このため、鉄剤は「処方されても飲まない薬」として有名だ。嘔気の副作用が少ない徐放剤も開発されているが、それでも吐き気はなくならない。鉄剤を服用できない場合には注射が必要だ。

 アスリートは夏場に食欲が低下し、鉄の摂取が不足する。潜在的な鉄欠乏なら、貧血になる。彼らには予防的な鉄剤投与が欠かせない。貧血や鉄不足は、アスリートの健康にかかわる問題であり、医師とアスリートが相談して決めればよい。第三者が規範論を振りかざし、介入すべきではない。

改善されつつある、アスリートの貧血

 幸い、アスリートの貧血は改善しつつあるという報告もある。私が知る限り、日本で唯一の研究だ。それは、2018年に順天堂大学の医師たちが発表したものだ。ユニバーシアード大会に出場した女性アスリートの貧血を1977年から2011年までフォローした。この研究によれば、1977~81年の女性アスリートの48.1%が貧血で、一般女性の19.7%を大きく上回っていたが、近年は女性アスリートの貧血は8.5%まで低下し、一般女性の19.8%を下回っていた。トップアスリートに限定した研究で、一般アスリートでの状況は不明だが、関係者の営々たる努力が結晶したのだろう。

 この間、食生活の改善、サプリメントや鉄剤の服用、さらに鉄剤の点滴を行ってきたのだろう。この点に関しては、ほとんど研究が行われていない。今回の陸連の対応で、鉄注射の現状についてアンケートを行っても、誰も正直には答えないだろう。

 現在、この分野で、わずかにわかっているのはサプリメントの服用状況だ。新潟医療福祉大の佐藤晶子氏らが、2012年にロンドン五輪に出場した552人の男女のアスリートを対象とした研究では、82%がなんらかのサプリメントを服用していた。これは大学生の使用率(17%)を大幅に上回る。ちなみに、佐藤氏らの調査で、もっとも服用されていたのはアミノ酸製剤(56%)だった。

 かくのごとく、アスリートが置かれた環境は急速に変わりつつある。どうすれば、健康を維持しながら、競技成績を向上させることができるか、試行錯誤が続いている。アスリートを管理するのではなく、専門家が協力して、彼らを支援しようではないか。
(文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長)

上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

1993年東京大学医学部卒。1999年同大学院修了。医学博士。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床および研究に従事。2005年より東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム(現・先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。 2016年より特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長。
医療ガバナンス研究所

Twitter:@KamiMasahiro

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