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平成エンタメ大失敗案件【3】~イベント編~

小室哲哉が東京ドーム“ガラガラ公演”を回避した仰天理由…平成の大爆死イベントを総括

文=ミゾロギ・ダイスケ
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小室哲哉が東京ドーム“ガラガラ公演”を回避した仰天理由…平成の大爆死イベントを総括の画像3YOSHIKI参加のシングル曲としては唯一の、globeが2002年に発表した「Seize The Light」(発売:エイベックス)

東京ドームで映画上映も有料客が1000人入らず!?

 ガラガラドーム興行に関しては、映画『8マン・すべての寂しい夜のために』(1992年)についても触れなければならない。これを映画編ではなく、イベント編で取り上げるのにはわけがある。

 この映画を製作したのは、マンガ『8マン』の「完全復刻版」をリリースしヒットさせた「リム出版」という出版社である。宍戸開の初主演作で、宍戸錠も博士役で出演しており、父子共演というのが話題のひとつだった。

 ただし、なぜか一般の映画館での公開はなく、東京ドームで1度きり、イベント的に上映するという形がとられたのである。当日は、映画の上映以外に音楽ライブやトークショーなども開催された。

 ところがその日、ドームはガラガラだった。何万人も入る会場に、有料入場者は1000人にも満たなかったともいわれている。文字通り、“寂しい夜”。作品の出来も散々で、ドームのステージに上がった宍戸錠が自ら「この映画、ショボいです」と発言したというから笑えない。

 その後、リム出版は倒産。『8マン~』はビデオ化されることで、全国の好事家の目に触れることになるが、内容がポジティブに評価されることはなかった。

あのグループがドーム公演を中止させたトンデモ公式理由

 最後に、ガラガラドーム公演を直前に回避した(と、思われる)例についても言及しておこう。

 1995年にデビューしたglobeは翌年に絶頂期を迎え、ファーストアルバム『globe』は400万枚を超えるセールスを記録した。しかしそれから 数年の時が流れ、やがて小室哲哉ブームが終息すると、globe人気も低迷していく。そこで2000年代に入ると、X-JAPANのYOSHIKIの加入、アジア諸外国への進出などの新展開を模索するようになる。

 東京ドーム公演が予定されていたのは、そんな動きが目立っていた2003年のこと。大々的にプロモーションがなされたが、突然、あまりに不可解な理由で開催中止が発表された。理由とされたのは、“イラク戦争と新型インフルエンザ(SARS)”。この2つの禍により、アジア展開のコンセプトの見直しが必要になったと共に、日本以外のアジア各国のファンが東京ドームに来ることが難しくなったから──。そういう説明がなされた。

 この発表に対しファンが「なるほど、それなら仕方ない」と納得すると考えた運営スタッフは、まずいないのではないか。ただ、実際にライブを決行して大惨事となるよりは、「なんじゃそりゃ!」というツッコミの集中砲火を浴びるほうがまだマシだと考えたのだろう──。周囲からそう思われても仕方がない、そんな中止劇だった。

 その後YOSHIKIは、CD制作などの目立った活動をすることもなく、globeからフェイドアウトした。
(文=ミゾロギ・ダイスケ) 

小室哲哉が東京ドーム“ガラガラ公演”を回避した仰天理由…平成の大爆死イベントを総括の画像4
●ミゾロギ・ダイスケ
ライター・編集者・昭和文化研究家/映画・アイドルなど芸能全般、スポーツ、時事ネタ、事件などを守備範囲とする。今日の事象から、過去の関連した事象を遡り分析することが多い。著書に『未解決事件の昭和史』(双葉社)など。

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