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軍都・小松ならではの遺構



小松空港のターミナルはやや小ぶりな印象で、北陸地方の中核空港といった貫禄はない。国内線、国際線の発着合わせて46便が就航している空港としては、建物もロビーも飲食店もシンプルな印象だ。もちろん不便を感じるようなことはないのだが、空港へ来ること自体が目的となるようなスポットではないといえる。
そのターミナルビルを出て、最寄りの小松駅へと向かう。地方空港らしい広々とした駐車場の一帯を抜け、空港を背に右折して国道360号を行くのだが、全体的に寂しさの漂う景色だ。道路沿いにあるのはレンタカー会社の営業所くらいで、商業施設や住宅、工場などの建造物がほとんどない。田畑や荒涼とした雑木林、遠くに北陸自動車道が見える程度だ。
小松空港がある地域は、もともと海と湖沼に挟まれた砂丘地帯だった。空港周辺は建物の高さに建築制限があるうえ、北国街道や国道8号、北陸本線が山側を通っているように、市街地は東南側に位置しており、大きな建物は現在でもほとんど見当たらない。
それでも5分ほど歩いて行くと、ちらほら民家も見えてくる。その中にある郵便局の裏側にある、円筒状の不気味なコンクリートが目についた。



レンタカー会社の敷地の一部になっているようで、内部にも車がたくさんとめられている。戦時中の軍施設と思われるが、地中へトンネル状に掘られることの多い防空壕とは考えにくく、発電所の一部だったという情報もあるようだ。
爆撃に耐えるため、あまりに頑丈に造ったために、取り壊すのが難しく、そのままにされているのだろう。戦前から軍都であった小松ならではの遺構といえる。
さらに5分ほど歩くと、前川にかかる浮柳新橋にたどり着く。水面には多数の水鳥がいるが、近づいてカメラを向けると逃げてしまう。バードウォッチングは少々難しそうだ。
浮柳新橋には、両岸にそれぞれ立派な銅像があった。小松空港側には武蔵坊弁慶、小松駅側には源義経が橋の両側ににらみを利かせている。なぜ義経と弁慶の像があるかといえば、この橋より北北西へ1.5kmほどの場所に「安宅関」(あたかのせき)があったとされるためだ。
歌舞伎の名演目「勧進帳」の舞台



義経一行が奥州藤原氏の本拠地である平泉を目指して通りかかった際、弁慶は関所を守る富樫左衛門に対し、勧進帳を読み上げ、山伏問答にも淀みなく答える。さらに問い詰める富樫に、弁慶は義経を杖で叩いて疑いを晴らすが、富樫は義経主従であることを見抜いて見逃したという、歌舞伎の名演目「勧進帳」の舞台だ。
徒歩で寄り道するには、往復3km以上の道のりはしんどいため、安宅関跡はスルーしたが、付近には安宅ビューテラスや勧進帳ものがたり館など、観光施設も充実している。立ち寄ってみると楽しそうな場所だ。
橋を渡ると、国道沿いにちらほらと建物が、その裏には広大な田園風景が広がる。そのまま5分ほど進むと、やや趣深い雰囲気の町並みへと変容していく。
まず道の右手に現れるのが運河のような水路と、それに沿った「すわまへ芭蕉公園」という緑道公園。松尾芭蕉が「おくのほそ道」の道中である1689年に、小松で句会を開いたということで、芭蕉の句碑などが設置されていた。



その対面には、702年に創建されたとも伝えられる菟橋(うはし)神社。風格ある社殿が特徴で、地元では「おすわさん」と呼ばれ、親しまれている。結婚式場(諏訪会館)も隣接されており、人気のスポットになっているようだ。
水路沿いにさらに5分ほど進むが、周辺はさらに歴史を感じる町並みになっていく。寺院や町家など、伝統的な家屋が密集しているのは、意外な発見だった。本蓮寺という大きなお寺がある交差点を右折するとすぐ、小松駅に到着。距離は約4km、所要時間は1時間ほどだった。
歩いてみる前は、小松に「歴史」のイメージはほとんどなかった。石川県なら金沢、福井県なら越前大野など、近隣に城下町や門前町が多い地域だが、小松もまた歴史を感じさせる北陸の中核都市であることが感じられたのは収穫であった。


