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道明寺美清「人生は大逆転できる!」

松井秀喜をヤンキースに入れた敏腕通訳、自殺未遂後に性別適合手術→女優として再起

文=道明寺美清/ライター
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「伊良部は繊細な上、ほかの外国人選手に馴染めず、私は通訳として多くの時間を共に過ごしました。メジャーデビュー戦から2勝したものの、その後の成績は周囲の期待に応えられず、伊良部のメジャーでの夢は終わりました」

松井秀喜をヤンキースに入れた敏腕通訳、自殺未遂後に性別適合手術→女優として再起の画像6

 伊良部は、ある時は降板の際にガムを口から吐きだし、それが観客に向けてツバを吐いたと間違われて問題になったり、日本メディアに挑発的な態度を取るなど“トラブルメーカー”扱いされた。それらがすべてKOTAの責任とされ、ヤンキースの環太平洋業務部長を解雇された。メジャーのドライな一面が表れるエピソードだ。

「あの時は荒れましたね。チームのため、伊良部のため、全力で取り組んでいましたから、悔しくて気持ちのぶつけどころがなく、酒に逃げました。これでもかっていうほど飲んで最悪の二日酔いになり、その翌朝に吸ったタバコの不味さに唖然として、それまでヘビースモーカーだったのですがタバコをやめました」(同)

 失意のどん底にいたKOTAを、団野村氏がLA(ロサンゼルス)に呼び寄せた。

「団さんの下で選手の代理人を務めました。その後、NYメッツにスカウトされ、野茂、吉井の通訳としてメッツに入団しました」(同)

 KOTAが入団した頃のメッツは、野球は強かったが、グラウンドを出ると、まとまりがないチームだった。ところが、KOTAが通訳をしている間にチームワークも改善され、本当の意味での強いチームへと成長した。

 この時までのKOTAの仕事は、選手と同じユニフォームを着て、トレーニングも一緒にこなしながら通訳を務めていた。だが、読売ジャイアンツ(巨人)から重要なポストを任され、現場を離れることになる。

現場から離れ、NYのオフィスで働く日々

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 2002年、KOTAは巨人の一員となり現場を離れた。

「NYにオフィスを開いてくれと言われ、NY52丁目にオフィスを構えました。仕事は、ヤンキースと巨人の業務提携。そして、松井秀喜のヤンキース入団に向けて、すべては綿密に計画されていました。02年の日米野球後に松井がヤンキースに入団。04年にヤンキースの日本開幕戦で松井が凱旋帰国。そして06年のWBC(ワールドベースボールクラシック)。その一連の流れを成功させるため、昼はオフィスで仕事、帰宅後は東京が朝を迎えるので、夜中に東京と連絡を取りながら仕事。1日24時間、常に仕事でした」(同)

「松井は素晴らしい選手だ」とKOTAは言う。松井をヤンキースに入団させることは自分の使命とさえ感じていた。尽力の甲斐あってすべてが計画通りに進み、WBCでは日本が優勝した。優勝記念のシャンパンファイトが行われた後、部屋に戻ったKOTAは、ある決意をする。

すべてを捨て、ゼロからの出発

 シャンパンファイトの後、鏡に移る自分に「もう嘘をつくのはやめよう」と語り、女性になる決意を固めた。自分は祖母の生まれ変わりだと信じていたKOTAの心は、生まれながらにして女性だった。スーザンという運命の人に巡り会えたものの、男性としてではなく人として結ばれていた。野球界で国際渉外、通訳として活躍しながらも、いつも心の奥に本当の自分を隠していた。WBCの日本優勝を見届けたKOTAは、達成感と共に自分の中の真実が音を立てて弾けた。「女性になる決意」を、愛するスーザンに打ち明けた。

「私は、女性になってもスーザンを愛する気持ちは変わるものではありませんでした。しかし、スーザンは受け入れてくれませんでした。その時から拒絶されてしまいました。それに、打ち明けた時、スーザンには愛人がいました。私は仕事で忙しく、スーザンに寂しい思いをさせていたのだと思います」(同)

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