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元次官の父に殺された長男は“社会人”だった…サイバー空間で友人とリアルを生きていた

文=佃均/フリーライター
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登戸の殺傷事件は過去に類型がある

 登戸の連続殺傷事件は、凶刃を振るった男がその場で自死してしまったので、通学バスを待っていた私立学園の子どもたちを狙ったのか、たまたまだったのか、犯行の動機や背景はわからずじまいだ。しかし報道から得た情報を総合すると、深い絶望感と閉塞感に取り憑かれて死を決意した加害者が、自分をそのように追い詰めた社会に復讐したという構図が浮かび上がる。

 その点で、昨年6月の新幹線殺人事件、2008年の土浦無差別殺傷事件、秋葉原通り魔事件、古くは1968年の未成年男子による連続射殺事件に通底する。コミュニケーション力が低かったり、話を聞いてうなずいてくれる人が周りにいなかったりするなかで孤独に陥り、自負心と劣等感、責任感と罪悪感の重圧が引きこもりに追い込んでしまう。

 実際、そこまで深刻ではなかったが、筆者も18歳から20歳までの2年間は、昼と夜の時間が逆転し、家から一歩も外出しない日が続いていた。しかし自分はちゃんとしているし、近所の人や友だちと普通に会話ができる、と根拠なく思っていた。今から思えば、自分が報われない(恵まれない)のは世間が理解できない(しようとしない)からだ、と心のどこかで考えていたのだろう。引きこもりに近い状態だったかもしれない。

 幸か不幸か「死」を実行する勇気がなく、深夜放送(『パック・イン・ミュージック』や『オールナイトニッポン』)以外に閉じこもれる世界がなかった。というより、閉じこもることができた世界が深夜放送を聞きつつ「物ごとを調べて原稿を書く」ことだったので、それが現在につながっている。そのような人は、たぶんいつの時代でも、どこにでもいる。才能が開けば芸術家になり、暴力的な行動と結びつくと、稀に凶悪犯になることがある。

 練馬事件でも加害者が息子、被害者が父親だったら、メディアは「またしても中高年の引きこもりによる事件」と報道しただろう。レッテルを貼ることで関係者は安心し、捜査当局は「家庭内暴力の果てに起こった不幸な事件」ということにして幕を下ろすことができたかもしれない。

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17:30更新
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