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元次官の父に殺された長男は“社会人”だった…サイバー空間で友人とリアルを生きていた

文=佃均/フリーライター
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レッテル貼りがミスリードにつながる

 登戸事件をめぐる報道過熱が冷めやらぬなか、6月1日、東京・練馬の住宅地で、76歳の父親が44歳の息子を包丁で刺して死亡させる事件が発生した。父親は農林水産省の元事務次官、元在チェコ共和国大使というエリート、被害者の息子は無職でネットゲームに熱中する毎日だったという。

 報道によると、かねてから被害者の息子は両親に暴力を振るっていた。当日、隣接する小学校では運動会が行われていた。経過は判然としないが、父親が「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」「川崎の20人殺傷事件が頭に浮かんだ」と供述しているという。理論的な思考回路のなかに、いきなり「正義」がすっくと立ち上がった、ということだろうか。「自分の息子が登戸事件のようなことを起こす前に、親の責任として」と決意したのかもしれない。

 メディアのインタビューに周辺の住人が「姿を見たことがない」と答えていることから、被害者を引きこもりと推測して、登戸事件との共通性が論じられた。ニュースや情報番組のコメンテーターは、「引きこもりの人がみんな犯罪を犯すような認識が広がらないように、われわれは心しなければならない」というのだが、実際は「引きこもり=犯罪予備軍」の風評を煽っているように見える。

 レッテルを貼ると人は安心するのだが、それは自分たちが理解できる範囲で理由付けをしているにすぎない。「フィジカルがすべて」の世界の理屈で“サイバー星人”(サイバー空間でリアルに生きている人たち)をモデル化するのは、ミスリードにつながっていく。20世紀型の引きこもりとは根本的に質が異なるし、「誰かが受け止めてあげれば」のような対策は通じないかもしれないのだ。

 44歳の息子は外形的に引きこもりに当たるかもしれないが、ネットゲーム「ドラゴンクエスト10」のなかで「ステラ神DQX」を名乗り、多くの「友だち」(知り合い)がいたことがわかっている。ログインしたままのゲームの中では、30人以上の「友だち」が集まって復活の呪文を唱え、追悼の儀式が行われたとも伝えられる。非現実の仮想世界なのに妙に現実感がある気味の悪さはさておき、彼にとってはそれがまさにリアルだったのではあるまいか。

転機は2009年に登場した初音ミク

 また彼はTwitterで、イラストやゲームのデザインのオファーを受けたと語っている。その真偽はともかく、自身の意識において彼は「社会人」だった。「ゲームデザインのセミプロ」を自称したあたりに、マニアックな動画像で生計を立てるユーチューバーのようになりたい、という願望が透けて見える。

 総務省の労働力調査によると、就職氷河期を経験した人たちは現在35歳から44歳、1700万人と推定されている。そのうち371万人が非正規雇用、52万人がフリーターだという。バブル経済が崩壊したあと、1993年に社会に出た人たちはさらに多く、今年、その先頭集団は48歳ないし49歳になる。好況を体験することなくバーチャルとリアルの狭間で揺れ、ネット音痴の上司や両親=団塊世代の無理解と向き合ってきた。

 世代論ですべてを片付けようとするのはよろしくない。血液型で人を分類するのも同じだが、それは個人の資質や個性の否定につながっていく。ただ、同じ時間に同じ空気を吸ってきた年代ごとに通底する感性や感覚があるのも事実で、その意味で強いて言えば、35歳から49歳まで(これもあまりにざっくりだが)はインターネット第1世代であって、筆者のようなオイルショック世代(社会に出たのが1973~1975年ごろ)と比べれば入手する情報量が格段に違う。

 オイルショック世代は「モノがなかった時代」を体験しているし、ぞんざいに扱われることに抵抗感がない。ちょっとした傷はツバを付けて治したし、学校で教師の体罰はザラ、機動隊に追いかけられて一人前というような感覚がある。対して氷河期世代=ネット第1世代は自ら「打たれ弱い」ことを認めつつ、団塊世代やオイルショック世代より知的で繊細だという自負がある(ように見える)。

 団塊世代やオイルショック世代には閉じこもる場所がなかったし、閉じこもろうとすると「定員オーバー」「お前が来る場所じゃない」と追い返されたものだった。ところが氷河期世代にはバーチャルな世界があって、誰でもが参加でき、深堀りする悦びがあった。オタクのうちはいいのだが、バーチャルな世界が進化したサイバー空間に取り込まれ、それがリアルになってしまうケースも出てきた、というのが今回の事件の深層ではないだろうか。

 サイバー空間でリアルが実現するようになったのは、2009年だ。それまで単なるコンピュータの合成音声(ボーカロイド)にすぎなかった「初音ミク」が、バーチャルな肉体を伴ったリアルなアイドルとして登場した。彼女をプロモーションする芸能事務所がコンサートを開くようになり、バーチャルコンサートのチケットがリアルに販売され、あるいはファン(ネット利用者)がCGで作成した分身(アバター)がネット上を自由に動き回るようになったときと推定できる。

 もうひとつのトピックは、11年3月に発生した東日本大震災だ。あのときに発生した大津波は、リアルであるにもかかわらず、あまりの非現実性ゆえにバーチャル感が強かった。リアルとバーチャルが混濁した。スマートフォンと4G通信の普及で、かつては夢物語だった双方向テレビ電話があっけなく実現した。動画像をネット上にアップできるのも夢物語だったし、その動画像にスポンサーがついて生計が立つなどということは想定もしなかった。サイバー世界がリアルにフィジカル世界を動かすようになった。

多様性を認め失敗を許容する社会

 バブル経済の崩壊から小泉政権の構造改革、デフレと年収の低下、将来展望の縮小、言い換えと誤魔化しが続く「失われた30年」の間、やむなく派遣や非正規雇用を受け入れ、積極的な選択であったかどうかは別としてフリーターの道を進んだ人も少なくない。収入と生活がそれなりに安定している人たちは両親の介護、不安定な人たちは老いゆく両親と共倒れという不安を抱え込む。

 その一方に、馬耳東風のサイバーリアル生活者がいる。彼らにフィジカル世界の理屈を強要することは、軋轢と憎悪を増長し、不幸な事態を招くに違いない。なぜなら現在のフィジカル日本は「ダイバーシティ」「サスティナビリティ」「グローバリズム」を口にしながら「イヤなら出て行け」と指弾し、目先の利益と責任を求め、「日本てスゴイ」を叫んでいる。個々の事情や状況の相違を削り落としてモデル化・抽象化すると、そのような推測になる。

 翻って冒頭で触れたCPSは、サイバーとフィジカルが「&」もしくは「+」で結ばれ、その相乗効果が経済成長の原動力となり、社会生活を便利に、豊かにすると考えられている。ここにAI(人工知能)と5G(第5世代通信)が加わると、第4次産業革命が本格的に動きだす。課題はあるにせよ、前向きな取り組みを示す言葉といっていい。ところが今回の事件で、「サイバーとフィジカル」はまったく逆の動きをした。

 ITの劇的な進化で成長したサイバー空間は結界を持つようになり、堅固なフレームを持つフィジカル世界との間にバリアができた。それこそSF映画のようなトランスフォーメーションが起こった。独立した2つの空間が、何かをきっかけにぶつかって、スパークが発生した。だが、両者をつなぐインターフェースがあれば衝突は回避されたかもしれない。

 IPv6がサイバー空間に奥行きを与え、一定の秩序をもたらしている。IPv6はすべてのモノを受容する――というふうに考えると、人間社会のサイバーとフィジカルを「&」で結ぶモノが見えてくるような気がしないでもない。

 IT的世相観察でまとめれば、「多様性を認め失敗を許容するしなやかな社会」「それぞれの立ち位置と役割・能力に応じた仕事と責任を分担する組織」という表現になるのだが、むろん現実はそんなにヤワではない。ブロックチェーンがサイバーの価値をフィジカルと結びつけるように、それとは別の視点=生産性や収益性だけを求めない仕掛けづくりという意味で、ITの役割はまだまだあるように思う。  
(文=佃均/フリーライター)

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