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小早川隆治「日本のクルマづくり~さらなる志・凛・艶・昂を目指して~」

マツダ、「世界的ブランド」へ成長の裏に1人のベルギー人の存在

文=小早川隆治/モータージャーナリスト

 また、「欧州での実車評価こそが大切」という進言を受け、たくさんのテストチームが欧州に出向き、多くの場合、PFさんの参画も得て南フランスの公道やドイツ・ニュルブルクリンクなどにおける評価を実施した。マツダの三次試験場の評価コースの一部は、PFさん推奨の南フランスの山間路のコピーだ。

 開発技術者を対象にしたドライビングスクールも開催し、家族ぐるみのお付き合いもさせていただいた。欧州市場におけるマツダブランドの定着、マツダのブランドコンセプトである「Zoom-Zoom」の原点は、PFさんのお力によるところが大きいと言っても過言ではない。

ささやかな恩返し

 1991年末、PFさんからお電話をいただいた。「1992年はじめの75歳の誕生日に際して、ル・マンで走ったクルマの助手席に孫たちを乗せてサーキットを走りたいが、協力してもらえないだろうか?」というものだった。優勝車「787B」はすでに日本に持ち帰っていたが、8位に入賞した「787」が1台だけ、マツダのル・マン挑戦をサポートしてくれたフランスのレーシングチーム「オレカ」に残っていた。そこで、オレカ社長のユーグ・ド・ショーナックさんに電話で相談すると、即座に「PFさんのためなら」と無償での全面協力を約束してくれた。

 1992年2月はじめ、PFさんは助手席(?)に急ごしらえのシートを装着した787にお孫さんほか17名を次々に乗せてポールリカールサーキットを69ラップも走られ、奥様のスザンヌさんによると「おじいちゃんは本当は75歳ではないことが証明できた」と、亡くなる直前まで喜んでいただけていたという。これは、マツダからPFさんへのささやかな恩返しといえるだろう。

(文=小早川隆治/モータージャーナリスト)

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小早川隆治/モータージャーナリスト

小早川隆治/モータージャーナリスト

1941年生まれ。学習院大学卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社。RX-7&モータースポーツ担当主査、北米マツダ副社長などを務める。退職後、モータージャーナリストとして活動。日本自動車研究者ジャーナリスト会議監事。

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