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“元・神童”山田ルイ53世に聞く「学歴とお笑い」【前編】

山田ルイ53世が語る「東大に入れる」と言われた少年が、挫折してお笑い芸人になったワケ」

文・構成=相羽 真
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写真=岩澤高雄(The VOICE MANAGEMENT)

夜逃げ同然で上京、お笑い養成所へ

「引きこもっている間も基本的には神童感がうっすらくすぶっていて、焦りも絶望感もあるけど、どこか『自分は優秀だから大丈夫。取り返せる』っていう思いがありました。でも、20歳手前の時に成人式のニュースをテレビで見て、『このままだと同級生たちに置いていかれる』という焦りが一気に襲ってきて。とにかくこの状況を脱さないといけないけど、いきなり社会に出て働く自信もないし……ということで、大検を受けたんです。大検の対策は、中学校までにやっていた勉強だけでどうにかできたという感じでしたね。中学校の時は学年で3番以内とかに入ることもあったし、当時の蓄積があったからよかったんだと思います」

 大検をパスした山田は、四国の国立大である愛媛大学法文学部を受験し、見事合格する。

「センター試験だけで合否が決まるところを選んだだけです。当時は“引きこもり感”をまだ引きずっていたので、めでたい空気とかもなんかいやで、入学式にも行ってないんです。確か履修ガイダンスから行ったんだけど、そこからいきなりミスっているんですよね。注意事項をよく聞かずに科目を選んでしまい、ちゃんと調べてみたら、4年で卒業できないことがその1年の時点で確定しちゃって。もうそのときすでに、大学に対するモチベーションは完全に失われていたと思います」

 そして山田は、バイト先で知り合った1年上の先輩とコンビを組み、お笑いの道に足を踏み入れることとなる。

「先輩の彼女が通っている短大の学園祭で漫才ができるからって誘われたんですよ。で、そこで実際に漫才をやってみたら、そこそこウケて、それで勘違いしてしまうんです。短大の学祭なんて身内ウケだし、ウケるのは当然なんですけどね。そこから、今度はフェリーで大阪に行って、2丁目劇場(心斎橋筋2丁目劇場、1999年に閉館)のオーディションなんかも受けましたね。でも、高松で吉本大博覧会というイベントに出た時、相方の先輩がネタを飛ばしちゃったんですよ。それで彼は責任を感じたのか、急に『俺は芸人じゃなくて作家になりたいねん』って言いだして、お笑いを辞めてしまうんです。結局その後、その人は就職したんですけどね。大学に対するモチベーションもないし、相方もいないなら愛媛にいる意味もないし……ってことで、東京の養成所の試験を受けて、夜逃げ同然で上京するんです」

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