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ジャニー喜多川が語ったおのれの死後と我が愛するタレントたち「ボクがいないほうがいい」

文=平松優子
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生前のジャニー喜多川氏

「ジャニーズ系」

 中性的で爽やか、ベビーフェイスの少年を表すこの言葉が、日本中で当たり前に使われるようになったのはいつからだろうか。

 時代が変わっても揺らぐことのない「イケメン」のいちジャンルを確立し、日本のエンタメ界を牽引し続けた稀代のプロデューサーがこの世を去った。ジャニー喜多川、享年87歳。その最期は、自らが育てた「最愛の子どもたち」の愛に包まれた穏やかなものだったという。

 1962年の創業以来、昭和、平成、令和の3時代に渡り人気アイドルを輩出し続けてきたジャニーズ事務所。類まれなるプロデュース力を誇るジャニー氏と、経営力に長けた実姉・メリー副社長(92)の絶妙なバランスにより成り立ってきた同事務所だけに、姉弟の高齢化に伴う後継者問題は長年、マスコミの格好のネタになっていた。

 そんな声に応えるかのようにジャニー氏は、自身が応じた数少ないインタビューの中で、自らの「死後」や事務所の今後についても言葉を遺してきた。本稿では、それらのいくつかについて紹介していこう。

「ボクがいないほうがタレントは活躍できる」

「(僕が死んでも)心配ない。うちのアーチストは自分でマネージャー業もやっているわけですよ。最初は付き人もほとんど付けない。だから、もし僕がそういう形になっても、自分たちでちゃんとマネージングできるように育てているんです」(講談社刊行の雑誌「VIEWS」1995年8月号)
 
「ジャニーが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。マネージャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ」(朝日新聞社刊行の「AERA」1997年3月24日号)
 
 その言葉から垣間見えるのは、タレントたちに寄せる絶対的な「信頼感」だ。戦後、戦災孤児に英語を教える仕事に就いた際「少年の可能性を引き出すことの大切さ」を痛感したというジャニー氏。芸能プロの社長としてタレントを縛りつけるのではなく、子に無償の愛を注ぐ親のように「育てる」ことに重きを置いてきた。

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