NEW
連載
篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

なぜベートーヴェンは頑なにカツラをかぶらなかったのか?

文=篠崎靖男/指揮者
【この記事のキーワード】

, , ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

カツラ=権威の象徴だった英国

 話は変わりますが、先日、南アフリカのホテルの中でテレビを見ていると、隣国ジンバブエの裁判所の映像が映りました。ジンバブエ人の裁判官は、みんな頭に白いカツラを着けています。これは、英国植民地だった名残りで、南アフリカやオーストラリアも以前は採用していたそうです。今でも英国はもちろん、英国を宗主国とする多くの国々では、裁判官や弁護士はカツラをかぶるという、17世紀から始まった伝統を守っています。

 ちなみに、英国では、2008年から民事裁判の場ではカツラをかぶらなくてもよくなり、年間7000万円の経費削減になったそうです。実際にカツラは結構高価で、特に裁判官がかぶるカツラに至っては、30万円近くするそうです。弁護士のかつらは格が下がるので安いのですが、それでも7万円くらいもかかり、新米弁護士にとっては痛い出費なので、できるだけ安いものを買って出廷することが多いといいます。しかし、そうすると相手の検事は一目見て、「安いカツラをかぶった“ペーペー弁護士”だな」と、あっという間に見下してしまうそうです。

 英国では、カツラをかぶることは“権威の象徴”と考えられているのです。マーガレット・サッチャー氏が首相の頃(在位1979~90年)では、国会議長もカツラをかぶっていたのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。

 これはイギリスだけの話ではなく、もう20年くらい前になりますが、フランスの裁判所の横を通った時も、多くの裁判所関係者がカツラをかぶり、古めかしい服を着て歩き回っていました。日本の裁判所では、さすがにカツラはかぶってはいませんが、裁判官が黒い法服を着用しているのは、同じ理由です。特に人々を裁く司法の場では、権威を示すことが必要なのでしょう。余談ですが、日本の裁判所では、書記官も法服を着ていますが、裁判官はシルク製、書記官はコットン製と差をつけているようです。

 ヨーロッパでカツラが広まった理由としては、衛生状態が悪い時代にノミやシラミが流行し、その対処として髪の毛を切ってしまったために、宮廷内で恰好をつけるためにかぶったのが始まりだとか、フランスのルイ14世は髪の毛が薄く、それを隠すためにカツラをかぶっていたので、周りの貴族も気を遣って見習ったなど、複数の説があります。

 そんな、カツラがまだまだ上流階級の礼儀だった19世紀初頭であっても、ベートーヴェンは頑固にもカツラをかぶりませんでした。そういえば、絵画で見ることができるベートーヴェンの髪型はもじゃもじゃで、お世辞にも美しくセットされたものではありません。もしかしたら当時、カツラ屋さんはたくさんあっても、良い美容師はいなかったからかもしれません。
(文=篠崎靖男/指揮者)

●篠﨑靖男
 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

関連記事