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松本典久「山手線各駅停車」

“迷宮化した駅”秋葉原駅に運河があった…構内の残された「絶え間ない改修の痕跡」

文=松本典久/鉄道ジャーナリスト
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迷宮化した駅秋葉原駅に運河があった…構内の残された「絶え間ない改修の痕跡」の画像4
秋葉原駅は何度も構内改修を繰り返しており、今は使われなくなった手すりなどもある(かつてはこの位置が1階に降りる階段だった)

 

 その後、秋葉原駅では幾度となく構内の改修を行い、複雑な動線の整理を進めてきた。山手線や京浜東北線ホームには、木製の飾りのような手すりが残っているが、実はこの動線整理の改修のために使われなくなった階段開口部の手すりなのである。改修の歴史を知る貴重な遺産でもあるのだ。

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秋葉原駅の構内には昭和初期(リベット構造)の構造が残っている

 

 また、秋葉原駅の山手線や京浜東北線ホームと中央・総武線(各駅停車)ホームの連絡階段や中央・総武線(各駅停車)ホームなどの柱はリベット構造のものが使われている。これは昭和初期の標準的な構造で、ここにも当駅の歴史を感じることができるのだ。

貨物専用の駅

 秋葉原駅の開業は、1890(明治23)年11月1日のことだ。ただし、当時の名称は「秋葉原貨物取扱所」。旅客扱いのない、貨物専用の駅だったのである。

 この時代、日本の鉄道はまだ発展初期の段階で、東京でも鉄道の通じている区間は少なく、環状となる山手線も形を成していない。東京駅ができるのは1914(大正3)年のことで、東海道本線は新橋駅(旧駅)を起点として運行されていた。しかも秋葉原貨物取扱所開業の前年に神戸駅まで複線化したばかりだった。

 一方、北に向かう東北本線は上野駅を起点として運行、こちらはようやく盛岡駅まで達していた。この東北本線と東海道本線を結ぶ連絡線の形で山手線の西側部分が通じていたが、東側の上野~新橋間の鉄道はなかったのである。

 当時、東北本線や高崎線などは日本鉄道という私鉄が運営、上野駅を東京側のターミナルとしていたが、需要が増え、上野駅だけではさばききれなくなってきた。そのため、貨物を効率的に扱う目的で秋葉原に貨物専用の駅をつくることにしたのである。

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昭和通り口に面した秋葉原公園(秋葉原駅は貨物駅として創業。当時はこの公園が運河となって駅と神田川が結ばれていた)

 

 秋葉原という場所を選んだのは、上野駅のそばということも理由のひとつだったが、すぐ南側を神田川が流れている。当時、都内の物流は水運でも行われていたため、その利便性を考えてのことだった。秋葉原貨物取扱所では、貨車と船の貨物積み替えが行なわれたのである。

 駅の構内には神田川から運河が引き込まれ、荷役岸壁や船溜まりが整備された。船溜まりは現在のヨドバシカメラのあたりに拡がり、ロータリーのある広場あたりで荷扱いが行なわれていた。これは明治時代だけでなく、昭和の戦後まで使用されている。

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ヨドバシカメラやその前の広場が貨物駅と船溜まりで、ここで鉄道〜水運の積み替えを行なっていた。この輸送は戦後まで続いていた

 

 現在、運河や船溜まりはなくなったが、運河の一部は秋葉原公園や佐久間橋児童遊園となり、道路わきには運河を跨いでいた佐久間橋の親柱が残っている。この親柱には「昭和四年四月」の文字も残り、時代を示す証拠にもなっている。

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秋葉原公園には運河だった時代の橋の欄干(佐久間橋)も残っている

 

 最初は貨物専用駅としてスタートした秋葉原だったが、1896(明治29)年に東京駅の建設が決まり、それに合わせて上野~東京~新橋間の鉄道建設も始まった。この鉄道は都市部を走るため、最初から全区間が高架線で計画された。秋葉原の貨物駅は地上にあったため、その西側に高架線を建設、ここに旅客ホームがつくられることになった。建設工事中、関東大震災などもあって竣工は遅れたが、1925(大正14)年11月1日 に上野~東京間の高架線が完成、秋葉原駅の旅客扱いも始まった。

 また、この間に中央本線も東京駅をめざして線路を延ばしており、11(明治44)年に完成していた。続いて、総武本線の起点となっていた両国駅と中央本線の御茶ノ水駅を結ぶ工事にも着手、高架となった秋葉原駅の上をさらに跨ぐという大工事が始まった。これは32(昭和7)年7月1日に完成、現在の秋葉原駅の姿になったのだ。

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総武線の秋葉原〜御茶ノ水間で国道17号と交差。ここは美しいアーチの松住町架道橋(昭和初期の構造物)
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中央通りを渡る総武線。現在の秋葉原を象徴するにぎやかな場所
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神田川を渡る山手線などの神田川橋梁。ここには複数の構造があるが、いちばん古い山手線はコンクリート構造のアーチ橋(大正期の構造物)

 

 なお、秋葉原駅での発着はないが、山手線・京浜東北線ホームの東側には、JR発足
後にできた上野東京ラインおよび東北新幹線が通過、いろいろな電車に出合える駅でもある。
(文=松本典久/鉄道ジャーナリスト)

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昔ながらの電気街も残っている

松本典久/鉄道ジャーナリスト

松本典久/鉄道ジャーナリスト

1955年、東京生まれ。出版社勤務を経て、1982年からフリー。鉄道や旅をテーマとして、『鉄道ファン』『にっぽん列島鉄道紀行』などにルポを発表するかたわら、鉄道趣味書の編集にあたる。
著書に『消えゆく「国鉄特急」図鑑』(共著、2001年)、『SLが走る名風景』(共著、2001年)がある。

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