入院・ジャニー喜多川社長の“禁断のタブー”…最高裁で認定されたタレントへの“ある行為”

ジャニー喜多川氏

 ジャニーズ事務所は1日、同社創業者で社長のジャニー喜多川氏が「解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血」で入院していることを発表した。ジャニー氏が病院へ救急搬送されたと先月19日に報じられ、その容態が心配されていた。数多くのタレントを育て上げてきたジャニー氏だけに、人気ジャニタレたちが忙しい仕事の合間を縫ってお見舞いに訪れている。

 今年1月に公開された映画『マスカレード・ホテル』で、木村拓哉は主演。昨年8月に公開された『検察側の罪人』では、木村と二宮和也が共演した。どちらもアイドル映画ではない。特に後者は犯罪をテーマとした社会派ミステリーだ。多くの人がスクリーンを見て、そこにいるのはアイドルとしてのキムタクやニノではなく、役者としての木村、二宮だと驚嘆した。この事例を見るだけでも、ジャニーズ事務所のタレント育成が卓越していることがわかる。

 事務所の創始者であるジャニー氏は、アメリカ・ロサンゼルス生まれ。上智大学卒業後にバンド活動をしていたジャニー氏がジャニーズ事務所を創業したのは、1962年。フォーリーブスがレコードデビューしたのが、1968年。郷ひろみをオーディションでスカウトし華々しくデビューさせたのが、1972年。「たのきんトリオ」「シブがき隊」「少年隊」と、個性の異なるアイドルグループを誕生させたのが、1980年代だ。ローラースケートを履いて踊り、バク転などもこなす、それまでには存在しなかったタイプの「光GENJI」を登場させたのが、1987年。

 1988年に「SMAP」、1989年に「TOKIO」、1993年に「KinKi Kids」、1995年に「V6」、1999年に「嵐」、2002年に「関ジャニ∞」、2005年に「Kis-My-Ft2」、2015年に「ジャニーズWEST」を誕生させたジャニー氏は、日本の男性アイドルグループの歴史をつくってきた。この分野では他の芸能事務所の付け入る隙はなく、“ジャニーズ帝国”と称されるのも不思議はない。

 しかし、この道のりは、決して華々しいばかりではなかった。フォーリーブスが解散した後、事務所を脱退した北公次(2012年に逝去)は1988年に半生記『光GENJIへ』(データハウス)を上梓した。人気に見合った報酬が得られず、10年間トップアイドルとして走り続けたにもかかわらず、貯えもまるでなかったという、事務所のタレント使い捨ての実態が、そこには書かれていた。「子どもに大金を持たせるのはよくない」が、事務所の言い分だ。それならば、事務所が貯金をしてくれているはずだと、北が思い込んでいたのも当然だろう。

 これを変えたのが、SMAPの木村拓哉。1997年、ギャラの大幅アップ、さもなければ独立すると事務所に突きつけたといわれている。国民的スーパースターを事務所が手放すはずがなく、木村はギャラアップを勝ち取ったのみならず、他のタレントの待遇も改善されたという。

スキャンダル

 ジャニー氏が激震に見舞われたのが、1999年10月から6カ月16回にわたる「週刊文春」(文藝春秋)による記事である。タレントの労働条件や、未成年タレントへの教育的配慮の欠如なども書かれていたが、もっとも衝撃的だったのは、ジャニー氏による所属タレントへのある行為に関する記述だ。

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