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江川紹子の「事件ウオッチ」第133回

江川紹子が【『表現の不自由展』中止問題】を考察…言論・表現の自由を後退させないためには

文=江川紹子/ジャーナリスト

「怒れる個々の人々」にどう対応すべきか


 そのうえで言うのだが、今回の出来事の本質は、そうした脅迫や政治家の圧力といった問題とは別のところにあるように思う。

 ネットやマスメディアでは、「ガソリン携行缶」の脅迫や名古屋市長など政治家の圧力など、わかりやすく語りやすい「言論弾圧」の形ばかりが話題になっていることに、私はいささか疑問を抱いている。これらも大事だが、そればかり見ているのでは本質を見失う。

 では、本質は何か。私は、それは「怒れる個々の人々」の感情の爆発と集中にどう対応するか、という問題だと思っている。

 芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏の記者会見によれば、中止を決めたのは、こうした一部の脅しや政治家の圧力というより、激しい怒りの電話が集中したことが最大の原因だった。

「事務局の電話が常に鳴っている状況。一昼夜続いた。そこがパンクし、つながらないとなると、県立美術館や文化センターにかける。(そこの職員は)そういう電話が回されることも知らない。待たされてさらに激高している状態の人が、事情を知らないオペレーターの方に思いをぶつけてしまう。それがひっきりなしに続く状況を目の当たりにし、続けられないと判断した」(津田氏)

 これまでの嫌韓デモなどを思い起こしても、おそらく抗議の主の多くは、普通に社会生活を営んでいる個々人だろう。そういう人たちが、日韓関係の悪化をニュースなどで知り、慰安婦問題などでの韓国側の対応に憤慨しているところに、この企画展を知り、怒りに駆られて電話をした、という状況ではないか。

 今回に限らず、感情的になった人々が、激しく執拗な抗議電話で相手を攻撃する現象は、日本社会ではもはや定番になっている。それに伴い、企業はクレーム電話対応などを進化させているが、学校や役所などは対応が立ち遅れているようで、長時間・多数の抗議電話で業務がストップしてしまうこともある。

 たとえば、親による虐待で女の子が死亡した事件があった千葉・野田市では、教育委員会の職員が学校でとったアンケートの結果を父親に見せてしまったことなどもあり、全国からの激しい抗議電話が集中した。業務に支障を来したため、ようやくコールセンターをつくり職員が交代で対応したが、1人で何時間もしゃべり続ける者もいたという。

 不祥事案だけでなく、今回のようなケースも、電話をする方は自分に正義があると確信しているので、激しい怒りをぶつけることにも、長時間他人の時間を奪うことにも、なんらの慎みも遠慮も躊躇もない。それが大挙して押し寄せることで、受ける組織には大きな圧力を及ぼす。

 主権者たる国民が意思を表示する自由は守らなければならない。そのため、自治体などの公的セクターの人たちは、極力その抗議を受け止めようとする。しかし、その自由や権利も無制限なものではなく、公共の福祉との調和が図られなければならない。

攻撃に抗う覚悟と効果的な対応


 私が新聞社に勤めていた頃、霊感商法の問題を書いたところ、おびただしい抗議電話が来て会社の通信機能がマヒしたことがあった。翌日もこれが続いたため、私の上司だった社会部長が筆を執り、署名入り記事でこう宣言した。

「“暴力電話”には屈しない」

 その記事は、書き出しと最終パラグラフに、こう書かれている。

<暴力は、どんな形にしろ絶対に容認できない。電話によるいやがらせは陰湿なうえに、数にモノを言わせたものは組織暴力である>

<わたしたちは、こうしたいやがらせ電話を言論の自由に対する重大な挑戦と受け止めている(中略)暴力に屈するわけにはいかない>

 30年以上前のものだが、今読み返しても、ここに書かれた内容や上司の対応は正しかったと思う。この時の電話攻撃は、統一教会の信者が、上司から指示されてやっていた組織的なものだと、だいぶ後からはっきりした。

 近年の個々人による抗議電話は、組織暴力とは異なるし、それぞれが意見を表明する自由も大切にしなければならない、という難しさがある。しかし、それでも度を超した怒りの爆発や長時間にわたる抗議などは、暴力とみなすべきだろう。

 役所などのパブリックセクターであっても、無制限に電話暴力に対応する必要はなく、職員を守る方法をとってしかるべきだ。また、テロリストの要求に応じてはならないように、暴力で言論・表現を封殺しようとする風潮に抗うには、それが功を奏しないことを示すしかない。

 それを考えると、今回、暴力に言論・表現活動が屈してしまう結果になったのは、返す返すも残念でたまらない。コールセンターを設置し、非通知の電話やFAXは受け付けず、会話は録音し、電話の時間制限を設け、会場の警備を強化し、入場者の手荷物検査も行うなど、さまざまな方法を動員してなんとか続けられなかったのか、という思いが拭えない。

 主催者側は、ここまでの激しい反発を食らうことは想定できていなかったようだが、それはやはり見通しが甘かったと言わざるを得ない。ツイッターでその点を指摘すると、多くの批判や非難が寄せられた。

 しかし、いくら非難されようと、あえて言わなければならない。言論・表現の自由は、それに対する攻撃には抗う覚悟と効果的な対応がなければ守れない、と思うからだ。犯罪予告のようなものは、警察が適切に対応しなければならないが、そうでないものは、まずは当事者が戦わなければならない。そして、できるだけ状況をオープンにして、多くの人が情報を共有し、その戦いを支える構図が必要だろう。

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23:30更新
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