NEW
江川紹子の「事件ウオッチ」第133回

江川紹子が【『表現の不自由展』中止問題】を考察…言論・表現の自由を後退させないためには

文=江川紹子/ジャーナリスト

言論・表現の自由が守られるために


 ただ、当事者に不安をもたらす抗議の主が、テロリストや一部政治家ではなく、一般の個人の人々である場合にどうするかは、難しい問題だ。

 そのうえ、言論・表現の自由を常日頃から意識する機会が多い新聞社とは違い、今回のイベントの主催者である愛知県の職員は、最悪の想定と、それにどう向き合うかという心の準備もなく、問題意識も共有できず、対策も不十分なまま、理不尽なまでの攻撃にさらされて疲弊したのではないか。

 その結果、津田氏も認めているように、「『電凸』で文化事業を潰すことができてしまうという成功体験、悪しき事例をつくってしまった」。今回、このような方法が功を奏したことで、今後、次のターゲットとされた言論・表現に対して同じことがなされる懸念もある。

 つまり、政治家の圧力や右翼などの組織による街宣行動など、目に見えやすいかたちで言論・表現を潰したのではなく、“怒れる個々の人々”が一斉に電話をかけるという、外からはわかりにくい、誰にもできる方法でなされ、それが大きな圧力になって、言論・表現をストップさせる手法が繰り返される、という懸念である。

 もっとも、このような「怒れる個々の人々」の感情が電話で押し寄せる現象は、今回いきなり起きた新手の手法というわけではない。「電凸」によって要求を実現させる「成功体験」は、ここ何年かで積み重なっている。言論・表現の自由に関わるテレビ局なども、抗議電話によって人手が割かれたり、スポンサーにまで抗議が及ぶことを気にしている。大学や自治体も同じで、抗議によって講演会などが中止になったり、さまざまな事業やイベントが取りやめになったりした。

 そういう事例が積み重なった結果だろう、抗議のターゲットにならないよう、政治的な課題については距離を置くようにしたり、番組内容を変更する、という“事なかれ主義”もじわじわと広がっている。自粛と忖度による対応だ。昨年11月、テレビ朝日が韓国の男性音楽ユニットBTS(防弾少年団)の出演予定を急遽とりやめたのもそうだろう。憲法を守ろうという訴えは政治的だとして、集会の後援を断ったり、会場の使用を認めなかったりする自治体が相次いでいるのも、その現れではないか。

 抗議の主体が組織であれば、組織的な暴力として警察に対応を求めたり、代表者と交渉して、オープンな場での討論にすることも可能かもしれないが、ネットに触発された個人の行動では、せいぜいゆるやかなつながりがあるだけなので、そうした対応ができず、対策をとるのが難しい。

 そのため、今の日本のさまざまな組織は、人々に「怒られない」「抗議されない」ことにプライオリティを置いて動いているようにさえ見える。こうした雰囲気が、今回の出来事でますます強くなり、日本の言論・表現がさらに窮屈なものになりかねない。

 こうした現象は、何かにつけ「思い」が優先され、「ホンネ」を“ぶっちゃけ”たり、自分の思いに忠実であることをよしとしてきた社会の風潮が生み出したものでもあろう。

 そういえば、「あいちトリエンナーレ2019」のテーマは「情の時代」だった。今回の出来事は、まさに「思い」優先の今の時代、すなわち「情の時代」を写し出していると言えるかもしれない。

 そんな時代を見すえて、どうしたら言論・表現の自由をこれ以上後退させずに守っていくか、考えなければならない。

 そのためにも、くどいようだが、公的機関の職員が、電話暴力から守られることは必要だと思う。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か – 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg

情報提供はこちら

RANKING

17:30更新
  • 連載
  • ビジネス
  • 総合