ビジネスジャーナル > 社会ニュース > 東京・高円寺、水商売多い歴史的背景
NEW
三浦展「繁華街の昔を歩く」

東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景

文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表
【この記事のキーワード】, , ,

 高円寺というと一昔前は大槻ケンジに象徴されるパンクロックの街だったが、今は金髪、長髪、黒革に銀の鋲といった出で立ちのパンク野郎を見かけることもなくなった。昔より普通で静かになり、古着屋巡りをするために結構遠くから若者がやってくる街になった。

 JR中央線高円寺駅ができたのは1922年のことであり、もうすぐ100周年である。23年に関東大震災が起こると、下町や都心部に住んでいた人々が山手線の西側に移住するようになり、それで高円寺も人口が急増した。

 また隣の中野に陸軍があったので、軍人も多く住んだ。高円寺は少尉、中尉、大尉といった尉官、阿佐ヶ谷は少佐、中佐、大佐といった佐官、荻窪は少将、中将、大将といった将官が住むといわれた。サラリーマンでいうと、係長くらいか。だから阿佐ヶ谷や荻窪よりも庶民的である。震災後、高円寺には中央区の佃島の労働者が移住してきたという話もあり、それもあってますます庶民的な雰囲気が街に漂うのである。

 さて戦前の高円寺にはカフェーがたくさんあった。カフェーというのは今のカフェとは違って、むしろ激しめのキャバクラである。女給と呼ばれるホステスがいて、テーブル席の男性客の隣に座りお酌をする。ついでにいろいろ触られる。抱きついたり男性の膝の上に乗ったりする。さらに2階に上がってもっといろいろする、ということも普通にあったらしい。

 だが女給は戦前の人気職業であり、芸者をやめて女給になる人もたくさんいた。10年前、雑誌『小悪魔ageha』が人気だった時代のキャバクラ嬢とか、メイド喫茶のメイドなど、今で言うとそんな感じの流行の職業だったのだ。

東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景の画像1
カフェーの女給の様子。北澤楽天画。

 私娼窟であった玉の井では、カフェーというのは2階に上がるのが専門のカフェーであって、ちょっとお触りをするくらいでは客は帰らなかったはずだ。高円寺のカフェーがどれくらいだったかわからないが、玉の井と同じような本格的な場所ならもっと記録が残っているはずだし、基本は住宅地なので、もう少しソフトだったのではないか。

 高円寺になぜカフェーが増えたのかはわからない。佃の労働者と一緒に、労働者の慰安のために佃にあった水商売も移転してきたのかもしれない。新宿のカフェーの女給がたくさん住んでいたのは確からしい。ついでにカフェーの経営者も住んでいたのかどうかわからないが、とにかくカフェーがたくさんできた。今でもピンサロやガールズバーが多いが、そういう歴史があるのだ。

東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景の画像2
高円寺の昔のカフェー街。今の高南通りあたり。
東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景の画像3
阿蘭陀(オランダ)屋敷新天地という変わった名前のカフェー街。1枚目の写真より道が細いので路地か?

「ヤバイ」の語源

 1940年の地図を見ると、高円寺駅南口にカフェーが集まっている。バー、玉突き場(ビリヤード場)もあり、歓楽街・風俗街であることがわかる。玉突きは当時大流行した娯楽だった。映画館もあるから、かなりにぎわっていたのだろう。映画館は1枚目の写真の左に写っているから、この写真はカフェー街を南側から撮影したものと思われる。

 しかし空襲で高円寺駅一帯は焼けてしまった。駅から堀之内の大宮八幡が見えたほどだった。カフェーがいちばん集まっている場所は戦後大きなバス通り(高南通り)になった。地図の上のほうの広い道は今の高南通りではなくて、パル商店街である。パル商店街の東側の路地(地図で言うと下のほうが路地)には今もピンサロが2軒、アニメ系のガールズバーが1軒あり、スナックなども昔は多かったが、それが戦前の名残であろう。

東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景の画像4
赤が喫茶、カフェー、オレンジがバー、青が玉突き場(資料:1940年の火災保険特殊地図に三浦が着色)

 ところでこういう風俗街には、高円寺に限らず、玉突き場や射的場がよくある。昔は楊弓場というのがあって、弓矢で的に当てる遊びをした。放った矢を集めるために若い女性がいたのだが、この女性を気に入れば、奥のほうに行ってまたいろいろできた。楊弓場は矢場とも言ったが、「ヤバイ」という言葉はここから生まれた。女性とヤバイことができるという意味だろうか。

 今の風俗街に矢場はないが、ダーツバーは多い。玉突きでもダーツでも、何かの的に当てるゲームであり、これはきっと女性という的に男性を当てるという行為の隠喩なのであろうと私は思っている。

(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)

東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景の画像5
現在のパル商店街裏

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

82年 一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。
86年 同誌編集長。
90年 三菱総合研究所入社。
99年 「カルチャースタディーズ研究所」設立。
消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。
著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、主著として『第四の消費』『家族と幸福の戦後史』『ファスト風土化する日本』がある。
その他、近著として『データでわかる2030年の日本』『日本人はこれから何を買うのか?』『東京は郊外から消えていく!』『富裕層の財布』『日本の地価が3分の1になる!』『東京郊外の生存競争が始まった』『中高年シングルが日本を動かす』など多数。
カルチャースタディーズ研究所

東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景のページです。ビジネスジャーナルは、社会、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!