「加谷珪一の知っとくエコノミー論」

中国、米ドルの買い支えを中止か…米国経済が窮地に、トランプ氏の交渉術が手詰まり

米財務省、中国を「為替操作国」に認定(写真:ロイター/アフロ)

 中国の通貨・人民元の対ドル相場が、重要な節目とされていた1ドル=7元台の水準を突破した。トランプ米大統領は激怒し、中国を「為替操作国」に認定。米中は貿易戦争に加え通貨戦争とも呼べる状況に突入している。

 だが、今回の人民元安はトランプ氏自身が招いたものであり、一種のオウンゴールといってよい。相手を翻弄するトランプ流の交渉術も、おおよそのパターンが見えてきており、神通力は失われつつある。

人民元は割高なほうが米中にとって好都合だった

 人民元はかつて固定相場だったが、2005年の人民元改革によって、対ドルレートを切り上げた上で、一定の範囲での変動を認める「管理変動相場制」が導入された。その後、人民元は中国の経済力を反映し、ジリジリと切り上げが進み、一時は、1ドル=6元の水準まで元高が進んでいた。その後、人民元は再び下落に転じたが、中国当局は1ドル=7元を防衛ラインとして、それ以上の元安は進まないよう留意していた。

 だが、トランプ政権が8月1日、ほぼすべての中国製品に追加関税を課す「対中制裁第4弾」の発動を表明したことで状況が変わった。中国は公式にはアナウンスしていないが、為替市場における米ドルの買い支えを中止した可能性が高く、人民元は一気に下落。重要な節目とされていた1ドル=7元はあっけなく突破された。

 トランプ氏は、中国側が通貨安で対抗しているとして激怒したわけだが、氏の主張は半分は当たっているものの、半分は外れている。本人は気付いていないかもしれないが、今回の元安は事実上の米国によるオウンゴールであり、客観的に見た場合、トランプ氏が下手を打ったという解釈が自然である。

 先ほど説明したように人民元相場は中国政府によって管理されているが、本来あるべきレートを基準にすると、割高(人民元高)な価格が維持されていた。輸出大国である中国がわざわざ自国通貨高にしていたのは、そのほうが米中両国にとって好都合だったからである。

 トランプ政権とは異なり、オバマ政権時代における対中経済政策は一貫していた。

 米国にとって中国の台頭は脅威だが、多くの米国人はビジネスの相手として中国をうまく利用したいと考えていた。一方、中国は国際社会において、途上国として扱われる状況から早く脱却し、主要国としての処遇を受けたいと強く願っていた。オバマ政権は中国のこうしたプライドをうまく利用し、「もし主要国としての処遇を受けたいのであれば、自国市場を開放し、フェアな形で人民元を国際化する必要がある」と中国に迫っていた。為替についても「大国であるならば、相応の価値が必要であり、ある程度の人民元高を容認する必要がある」というスタンスだった。

 中国には、どうしても大国になりたいとの思いがあり、ドル安を望む米国の意向をほぼ受け入れ、人民元を高めに誘導。その水準で徐々に人民元を国際化する方向性で準備が進められてきた。

中国は米ドルの買い支えをやめただけ

 人民元を高めに推移させたほうが、米国の利益が大きく、そのためには自国の輸出産業が多少、犠牲になっても構わないという中国側のスタンスは、トランプ政権になっても継続していた。トランプ政権は、対中制裁を次々に発動してきたが、中国側も、一連の制裁はトランプ流の交渉術であり、どこかで妥協点が見いだせると考えていたはずだ。

 トランプ氏も当初はそのつもりだったのかもしれないが、今回はトランプ氏が完全に中国側の出方を見誤った可能性が高い。全製品への関税をチラつかせれば中国側が妥協すると踏んだものの、中国はこれに応じず、長期戦に持ち込んだほうがよいと判断してしまった。

 中国側は、保有する外貨準備を失ってまで継続してきたドル売り介入を止めた可能性が高く、結果として人民元が下落。トランプ政権にとっては困った結果になってしまった。米国は中国を為替操作国に認定したものの、この措置は実質的になんの意味も持たない。中国は確かに為替を操作していたが、それは自国通貨安ではなく、自国通貨高にするための誘導であり、為替相場を市場に任せればさらに元安となる可能性が高いからである。

 このまま元安が続けば、関税で苦しんでいる中国企業の収益が改善するので、中国にとっては時間稼ぎができる。来年の大統領選までに成果を出す必要に迫られているトランプ氏は、逆に交渉の選択肢を狭めてしまったといってよいだろう。

 では、下手を打ったトランプ氏は今後、どのような手段を講じるのだろうか。

 関税の対象となる製品を拡大するという手法はすでに使い切っている。関税の水準をさらに上げるという強攻策もあるが、米国経済への影響が大きいため、産業界からは慎重な対応を求める声が出るだろう。とりあえずはドル安誘導が無難なところだが、ドル安を進めるためには、金利を引き下げなければならない。だがトランプ氏は、このカードもすでに使い切ってしまった可能性がある。

 トランプ氏は、米国の中央銀行にあたるFRB(連邦準備制度理事会)に対して、これまで何度も利下げを要求しており、一時はパウエル議長の更迭を示唆する発言まで行っている。FRBはトランプ氏からの圧力に抗しきれず、利下げに転じる意向を表明したが、トランプ氏は利下げ幅が足りないとしてFRBへの攻撃を続けている状況だ。

トランプ流交渉術は正念場に差し掛かっている

 その結果、債券市場では米国債が一気に買い進まれ、米国の長期金利は1.5%台まで下落している。すでに十分な低金利水準であり、ここから利下げを表明したところでドル安の効果は限定的だろう。

 トランプ氏が中国との交渉を妥結に持ち込みたいと考えているのであれば、同氏に残された有力な手段は外交的なものとなる。香港で行われている民主化デモに介入し、人権問題で米国が譲歩する代わりに、貿易交渉での中国側の妥協を引き出すといった手法などが考えられる。

 だが、人権問題は中国にとって微妙なテーマであり、一歩間違えば、とんでもない結果を引き起す。いずれにしても経済と安全保障に関する交渉がパッケージディール化された場合、交渉の行方は読みにくくなるので、それだけでも不確実性要因といってよいだろう。

 とりあえずはトランプ氏の出方次第ということになるが、市場にとってはかなり憂鬱な状況となってきた。

 米国の債券市場では長期債が極端に買われていることから、短期金利と長期金利が逆転する「長短金利逆転現象」が発生している。長短金利の逆転は、景気後退の前触れともいわれており、一部の市場関係者は今後の米国経済の先行きを不安視している。

 長短金利の逆転は、市場見通しにバラツキが生じていることが直接的原因であり、必ずしもそれが景気後退につながるわけではない。だが少なくとも、市場が今後の米国経済を不安視しているのは間違いなく、これはトランプ氏自身が引き起した事態といってよい。

 トランプ氏は交渉が得意な人物とされているが、トランプ流の交渉術が今後も成果を上げられるのか、まさに正念場に差し掛かっている。

(文=加谷珪一/経済評論家)

加谷珪一/経済評論家

1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書)、『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)、『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス)、『教養として身につけたい戦争と経済の本質』(総合法令出版)、『中国経済の属国ニッポン、マスコミが言わない隣国の支配戦略』(幻冬舎新書)などがある。
加谷珪一公式サイト

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