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「日本とモンゴルは親戚同様」…世界一のカシミヤ大国に導いた、日本の経済協力

文=小野貴史/経済ジャーナリスト
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 城所氏によると、モンゴルカシミヤ製品は世界のカシミヤ製品市場の60%を占めている。これだけのカシミヤ大国に導いたのは、ほかならぬ城所氏である。やや長くなるが、のちに「ミスターカシミヤ」の異名を冠される城所氏とモンゴル産カシミヤの足跡を振り返っておきたい。

無償資金協力

 城所氏は1971年に外務省に入省する。パリやロンドン、ローマに出張した折にカシミヤ製品を手に取ると、どこでも「Made in Mongolia」だった。この体験がほどなく開花した。

 73年に駐モンゴル日本大使館が開設され、城所氏は三等書記官として赴任。日本とモンゴルの文化交流取極を起草し、74年に締結した。この年、モンゴル外務省から大使館に経済協力の要請が入り、協力候補案件に「カシミヤの洗毛」が含まれていた。

 上司から「好きな案件を選べ」と指示された城所氏は、ヨーロッパ各国で「Made in Mongolia」を見た経験を話したうえで「モンゴルの経済発展のためにはカシミヤだ」と判断し、カシミヤの洗毛を経済協力案件の第一号に選んだ。その後、調査を経て経済協力協定を締結したのは77年。50億円(当時)の予算が組まれ、無償資金協力「ゴビ・カシミヤ工場建設」が実行された。城所氏は回想する。

「当初、日本側の考えは借款だった。資金を貸し付けたかったのだが、当時のモンゴル大使は道理のわかっている方で、大蔵省に行って『モンゴルはこれから国を動かすのだから、借款ではなく無償資金協力をすべきだ』と主張して、カシミヤの洗毛案件は無償資金協力に決定した」

 この決定がモンゴルにカシミヤ産業を創出し、対モンゴルODA(政府開発援助)の嚆矢にもなった。

「文化交流取極を通じて大学院生の交流が始まり、80年にカシミヤ要員として信州大学繊維学部に留学した第一号の学生は、のちに駐日大使になった。カシミヤ要員の何人かは帰国後に日本に詳しいという理由で外務省や経済産業省に引き抜かれたが、日本製の機械などが紹介される流れができた。協力内容も洗毛から製糸へと付加価値を高めていった」

 モンゴルは90年に民主化し、市場経済がスタートする。92年、モンゴル政府の経済会議に出席した城所氏は、出席メンバーの前で讃えられた。モンゴル政府幹部が会議の席でこう発言したのだ。

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