篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

今回のラグビーW杯で各国チームが試合後、“日本式のお辞儀”を始めた理由

日本式の“お辞儀”が広まる

 僕は以前、ラグビーを見るたびに、体と体をぶつけ合い、土と汗にまみれ、怪我も多い荒々しいスポーツだと思っていたのですが、英国に住んでいた時に、ラグビーを見る機会が多くなって気付いたのは、ラフプレーがあまりないということでした。サッカーのように、反則を取られるのがわかっていても、駆け引きのひとつとして、あえてファウルを冒すというようなことは少ないと思います。そして、試合後は勝者も敗者もなく、お互いが尊敬をもってたたえ合います。そこは日本の相撲道に近いように感じました。

 そんななか、今回のワールドカップでは、優勝候補でもあるニュージーランドの選手たちが、宿敵・南アフリカに勝った際にピッチに整列し、まるで日本人のようにチーム全員がスタンドの観客に深々とお辞儀をしたことが、英国の主要紙「ガーディアン」に取り上げられました。国際試合では、一般的に観客は自国のチームを応援しますが、この試合ではニュージーランドの真っ黒なユニフォームを着て応援している日本人ファンも多くいたことが、ニュージーランド選手を感激させました。同国のキーラン・リード主将は、インタビューでこう語りました。

「日本の人たちとできる限り緊密につながることが、僕たちにとってとても重要なことなのです。皆さんがオールブラックスを愛していることを知っています。皆さんからの愛を少しでも返したい。我々はそれを示す必要があるのです」

 そしてその後、ほかの国々のチームもそれに習い、深々とお辞儀を始めています。

 ガーディアン紙では、正しい“お辞儀の仕方”についても伝授。「首と背中を真っ直ぐに保つ。視線を下に、両手は脇に。腰を45度ぐらいまで曲げるべし」と紹介しているそうです。実際に、お辞儀は日本文化で、欧米では会釈程度が普通なので、ラグビー選手たちの日本に対する理解と相手にリスペクトを伝えようとする態度がよくわかります。そしてそれは、今回のラグビーワールドカップを通して、日本人の精神に深く刻み込まれると思います。

「ラグビー」の作曲家・オネゲル

 さて、1823年に英国の上流階級の子弟が通うラグビー校で始まったといわれるラグビーは、あっという間に広まっていきました。ある日、フランスの大作曲家・オネゲルが観戦していたときのことです。

 隣に新聞記者が座っており、「オネゲルさん、スポーツを音楽で表現できますか?」と尋ねられたのをきっかけに、『ラグビー』という曲を書いて、1928年に初演したのです。2つのチームが戦っている様子を表した7分程度の作品です。ちなみに、このオネゲルはほかにも変わった曲を書いた作曲家です。『交響曲第2番』などは名作中の名作なのですが、蒸気機関車が走っている様子を音楽で表した『パシフィック231』という作品が話題を呼び、「蒸気機関車の作曲家」として有名になってしまいました。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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