江川紹子の「事件ウオッチ」第138回

破棄されていた重要裁判記録…江川紹子「適切な保存と利用のための仕組み作りを」

 

憲法上、重要な判例が出された民事裁判記録の保管状況について調査した最高裁。約9割が廃棄されていることが判明した。(画像は最高裁判所「Wikipedia」より)

 憲法上の重要な判例が出された民事裁判の記録保管状況を最高裁が調査したところ、約9割が廃棄されていることが判明した。先週、これを読売新聞が報じた。

 2011年4月に施行された公文書管理法(正式名称「公文書等の管理に関する法律」)は、裁判記録などの司法文書を含めた公文書について、「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るもの」と位置づけた。しかしこの法律は、そのうち行政文書のみの管理、保存、利用について定めており、具体的な規定から司法文書は除外されていた。

活用されていない裁判記録の保存制度

 しかも、民事裁判の保存のあり方を定める法律はなく、最高裁の内部規定や通達などに委ねられている。5年間の保存期間を過ぎると、判決原本は国立公文書館に移管される。それ以外の双方の主張や証拠、証人尋問などの記録については、「史料または参考資料となるべきもの」のみを特別保存(永久保存)すると義務づけられている。

 2002年の最高裁通達は、特別保存の対象を「重要な憲法判断が示された事件」「世相を反映した事件で史料価値の高いもの」「全国的に社会の耳目を集めた事件」「調査研究の重要な資料になる事件」などと例示し、保存を促した。さらに、内閣府と最高裁の申し合わせによって、「歴史資料として重要な」裁判記録は、国立公文書館に移管されることになっている。

 ところが実際には、重要な裁判記録の保存制度が適切に活用されていない。10月24日付読売新聞が報じた最高裁の調査によると、重要な判例が出された134件のうち、保存されていたのは、

・政教分離の考え方を示した「津地鎮祭訴訟」(1977年最高裁判決)

・ハンセン病患者に対する国の隔離政策を違憲とした国家賠償訴訟(2001年熊本地裁判決)

など、わずか17件。このうち特別保存は8件、国立公文書館への移管は1件だった。一方、

・作家の三島由紀夫らが訴えられ、小説のモデルのプライバシーと「表現の自由」が初めて法廷で争われた「宴のあと」訴訟(1964年東京地裁、その後原告が死亡し、東京高裁で遺族と和解)

・靖国神社への公費支出を違憲とした「愛媛玉串料訴訟」(1997年最高裁判決)

・在外投票を制限した公職選挙法を違憲とした訴訟(2005年同)

などの著名訴訟の記録が廃棄されていた。

 このように重要な裁判の記録が破棄されている問題は、これまでメディアの独自の調査でも指摘されていた。たとえば、東京地裁の記録の保存状況を取材した2月5日付朝日新聞の記事によると、特別保存は11件。その一番新しいものは、オウム真理教の破産の記録だった。

 廃棄されていた記録のなかには、

・生活保護費を巡って日本国憲法第25条に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)の解釈が争われた「朝日訴訟」(1967年最高裁判決)

・法廷で傍聴人がメモを取る権利が認められるきっかけとなった「レペタ訴訟」(1989年同)

など、最高裁判例につながった著名事件が含まれていることが明らかになり、関係者に衝撃を与えた。

 また、破たんした山一證券の破産管財人らが監査法人を訴えた訴訟といった、バブル崩壊後の金融破たんの責任が問われた多くの訴訟記録など、最高裁が「世相を反映した事件で史料価値の高いもの」等の特別保存を促す通達を出した後に判決が確定した裁判記録も失われていた。

 今回の最高裁の調査を先取りするかたちで取材を行った共同通信が8月4日に配信した記事によれば、

・自衛隊の合憲性が問われた「長沼ナイキ訴訟」(1982年同)

・既存の薬局から一定の距離がなければ新たな出店を許可しない薬事法の合憲性が問われた「薬局距離制限事件」(1975年同)

・組織的犯罪対策法に反対する集会に出席した裁判官が処分を受けた「寺西判事補分限裁判」(1998年最高裁決定)

などが廃棄されている。

 いささか手前味噌になるが、私たちジャーナリスト有志が法曹関係者や研究者と共に、裁判記録の保存や公開を含めた「ほんとうの裁判公開」に関する勉強会を立ち上げて2年半になる。その後、そのメンバーのさらに有志で「司法情報公開研究会」をつくり、最高裁や法務省などに規則の保存などに関する要請を行ってきた。

 今回、最高裁が調査を行ったり、あるいはオウム真理教の破産に関する裁判記録が特別保存となったりしたのは、こうした要請に応えたものといえ、(遅きに失した面もあるとはいえ)一定の評価をしたい。

 ただ、調査の結果は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」がかくも捨てられている、という惨憺たるものだった。最高裁通達は出されたものの、実務に携わる各裁判所の書記官では、裁判記録の資料的価値を判断するのが難しく、研究者や訴訟当事者などの要請がなければ、保存スペースも限られているため、廃棄するのが原則になってしまっているのが実情だ。

 各裁判所に、法曹関係者、さまざまな分野の研究者、ジャーナリストなどで構成する諮問委員会を置き、記録を廃棄する前に検討するなど、特別保存を指定するプロセスを透明にしていく仕組みやルールづくりを、早急に行うべきだ。

裁判記録は「国民共有の知的資源」だ

 民事裁判以上に深刻なのが、刑事裁判の記録保存と閲覧の問題だ。

 刑事裁判については、刑事確定訴訟記録法で記録の保管期間が決まっている。その期間は、判決の重さによって異なる。死刑や無期懲役刑が確定した事件は、判決書が100年、それ以外の記録は50年。有期刑の場合、判決書は50年保管されるが、それ以外の記録の保管期間は刑期によって違い、懲役20年以上なら30年だが、懲役5年未満ならわずか5年だ。

 本来、無罪になった事件は、長期間保管して今後の参考にしてもらいたいが、そうはならない。有期懲役刑にあたる事件で無罪が確定した場合、5年の保管しか義務付けられていない。5年たてば判決書もその他の記録も廃棄できる。

 法務大臣が「刑事法制及びその運用並びに犯罪に関する調査研究の重要な参考資料」と判断すれば、「刑事参考記録」に指定し、保管期限を過ぎても保存を続け、永久保存することもできる。

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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