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木村貴「経済で読み解く日本史」

平安時代、国風文化=純然たる日本文化という嘘…貴族による海外品“爆買い”が文化醸成

文=木村貴/経済ジャーナリスト
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 近年の研究では、道真の建議が採用され、朝廷が正式に遣唐使を廃止したのではなく、いわばなし崩し的に派遣されなくなっていったとの見方が有力だ。いずれにしても、使節団の派遣による公的な国際交流はあっさり打ち切られた。

遣唐使の停止後、民間交易は盛んに

 しかし、これはあくまで国家間の交渉についての話である。遣唐使の停止後、民間の交易はむしろ盛んになっていく。その背景には、中国・朝鮮地域の混乱によって国家の交易に対する統制が弱まり、商人が自由に活動できる状況が生まれた点がある。それとともに、唐物に対する日本貴族の憧れが根強かったためでもある。

 10〜11世紀の高官、藤原実資の日記「小右記」によると、実資は、大宰府の官人で、実資が所有していた筑前国の荘園の荘司でもあると思われる人物から唐物を送られており、一方で、九州諸国の受領や大陸商人からも唐物を入手している。貴族たちはさまざまなルートを通じて、むしろ遣唐使の時代よりも多種多様な唐物を手に入れていたとみられる。

 唐物が平安貴族の日常にどのように浸透していたかは、当時の文学作品からうかがうことができる。たとえば、清少納言の随筆『枕草子』には唐物関連の語彙が散見される。唐鏡、唐錦、瑠璃の壺、鸚鵡(おうむ)、唐の紙、唐綾、唐の薄物などだ。贅沢品であり、高嶺の花の唐物ではあるが、宮廷、特に清少納言が仕えた藤原定子(一条天皇の皇后)の周辺では日常的に触れる機会が多かったと思われる。

 清少納言が初出仕した頃を語る段では、香木の沈香(じんこう)で作られた火桶が登場する。沈香は南方からの舶来品で、中国や朝鮮からの中継貿易で平安京にもたらされた。貴重な沈香を火桶という日用品に使用した様子を描くことにより、定子の父である関白・藤原道隆の財力を誇示した語り方といえる。

 道隆一族が積善寺で行なった供養を語る段では、定子は唐綾や唐の薄物など唐物の上に、禁色(勅許がないと着用不可)である赤色の唐衣を着用するという、唐物のブランド性を最大限に生かした豪華な衣装が現れる。これも道隆一族の富と繁栄を見事に伝えている。

高級ブランド品の爆買いを蔑むなかれ

 同時代に紫式部によって書かれた、日本古典文学の最高峰と言われる『源氏物語』にも唐物が登場する。たとえば、主人公・光源氏の晩年の正妻である女三宮は、結婚前の裳着の儀式で、父・朱雀院により国産の綾や錦が一切排除され、舶来の唐物の綾錦だけで最高級の唐風の調度が整えられる。

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