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三浦展「繁華街の昔を歩く」

調布は理想的郊外住宅地4位だった…著名人たちの別荘地、想像できない上流階級の生活ぶり

文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表
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1.「理想的郊外住宅地」(国民新聞社)の人気投票

 調布は古代、税金である租庸調の調(物納)として布地を朝廷に納めたことから、その名がついている。深大寺、神代植物園、多摩川、野川などがあり、今も自然は豊かである。甲州街道沿いの宿場町としても栄えた。

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宿場町時代の名残

 この調布が「理想的郊外住宅地」の人気投票で4位になったことがあった。1916年(大正5年)に国民新聞社が行った人気投票である。3位は千葉県の我孫子、2位は同じく千葉県の市川、そして1位が府中だった。武蔵野国の国府であり、大国魂神社があって、欅並木も立派な府中が1位というのはうなづける。

 5位は鳩ヶ谷。かなり意外だろうが、鎌倉街道、日光街道御成道の宿場町として栄えていたので、今でいうところの川越のような町並みがあったのだろう。6位は石神井。石神井池の周辺の美しさは今も住みたい住宅地の条件を満たし人気が高い。7位は立川。当時はまだ「基地の街」ではなかったので、玉川上水や多摩川沿岸は豊かな自然があったのであろう。

 8位は小金井。ここも野川沿いのはけの道がのどかである。水の良さは定評がある。当時は川沿いに田んぼもあっただろう。9位が浦和。浦和は今も文教都市として人気があるが、大正5年なら旧制浦和中学もできていて、文教都市としての歴史を歩み始めていたはずだ。中山道の宿場町でもあり経済的にも栄えていた。

 10位は白子村。埼玉県北足立郡に存在した村だが1943年(昭和18年)に新倉村との合併による大和町の成立により消滅。現在における和光市南東半にあたるという。白子村については私には土地勘がないのでわからないが、荒川沿いでのどかな場所だったのではないか。

2.鮎が獲れ、ワサビを栽培するほどきれいだった多摩川

 だがこの人気投票、少し不正があった可能性がある。各地の名士たちが投票用の葉書をまとめ買いして、ぜひ我が町を上位にと組織的に投票をした可能性があるのだ。調布でも町長の中村亨が地元の有力者、調布銀行頭取の井上平左衛門らと相談して、葉書6600枚を投じたという。5位以内に入れば国民新聞の記者が当地の記事を書くことになっていたので、地域の宣伝になればという思いで、そうした組織票が入ったらしいのである。

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

82年 一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。
86年 同誌編集長。
90年 三菱総合研究所入社。
99年 「カルチャースタディーズ研究所」設立。
消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。
著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、主著として『第四の消費』『家族と幸福の戦後史』『ファスト風土化する日本』がある。
その他、近著として『データでわかる2030年の日本』『日本人はこれから何を買うのか?』『東京は郊外から消えていく!』『富裕層の財布』『日本の地価が3分の1になる!』『東京郊外の生存競争が始まった』『中高年シングルが日本を動かす』など多数。
カルチャースタディーズ研究所

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