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三浦展「繁華街の昔を歩く」

東京、駒込から王子へ歩くと、昭和がそのまま残っていて、なんとも楽しい

文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表
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 駒込という地名はややこしい。駒込は豊島区で、本駒込は文京区、駒込駅のすぐ東は北区である。同様に、北大塚は豊島区で、南大塚は文京区、目白は豊島区で、目白台は文京区、目白文化村は新宿区である。もともとこれらの区は豊島郡だったので、郡の中に駒込、大塚、目白、あるいは高田などの地名があり、それが区に分かれるときに名前も分割されたのだろう。

 駒込駅の東側にあるアザレア通りという商店街を入ると、いきなりキャバクラ。そこから南下して右手の少し小高いあたりが本駒込5丁目で、駒込三業地のあった場所である。駒込三業地の設立は大正11年(1922年)。当初は料理屋32軒、待合21軒、置屋38軒とけっこう大規模である。今は料亭も待合も何もなく普通の住宅地に変わっているが、それでも料亭時代の記憶を残すべく、おそらくかつては庭にあった植木を玄関先に植えている家が多い。塀の鬼瓦がやけに色っぽい家もある。

 また、その名も神明という名の居酒屋があり、他にも小料理屋のようなものがいくつかある。仕出屋だった店が経営する料理屋もあり、天祖神社の玉垣には駒込三業組合の名も彫られているし、電柱には「三業地」の名が残っている。板東という名の表札もあり、踊りか歌舞伎関係の家だろう。着付け教室もある。1カ所だけ黒塀も残っていた。やはりここは元花街だとわかる。

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 駒込駅周辺は江戸時代には近郊農村から野菜が集まる場所だったようで、一種の宿場町のようなものだった。江戸以前は古代からの交通の要所であり、武蔵野国国府である府中から古代東海道が荻窪を経て直線道路で豊島区駒込の染井のあたり(駒込駅の北)まで来た。そこが駅だったのである。

 駅というのは馬が集まる場所であり、駅は「うまや」とも読んだ。その駅が染井にあったのだ。その東の飛鳥山の南端にあるのが豊島郡衙(今の県の官庁街のようなところ)の跡である。そこから古代東海道は今の荒川区を横断し、隅田川を渡り、墨田区の鐘ヶ淵を抜けて、葛飾区立石を経由、最後は市川の下総国国府に至った。

 面白いもので、駒込、荒川区の尾久、南千住には三業地があり、鐘ヶ淵から少し下ると玉の井の私娼屈があり、立石には特飲街があり、市川にも三業地があった。これはやはり千数百年前からの街道沿いの街であったということと関連しているのではなかろうか。

「ザ・下町」

 話を駒込に戻す。野菜を運んできた人々はそこで休憩し、酒を飲んだりすることもあったのであろう。そのためか、駅の南には古い旅館があって、「昭和30 年代のオールドファッションスタイル」であることを看板に書いてアピールしている。

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

82年 一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。
86年 同誌編集長。
90年 三菱総合研究所入社。
99年 「カルチャースタディーズ研究所」設立。
消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。
著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、主著として『第四の消費』『家族と幸福の戦後史』『ファスト風土化する日本』がある。
その他、近著として『データでわかる2030年の日本』『日本人はこれから何を買うのか?』『東京は郊外から消えていく!』『富裕層の財布』『日本の地価が3分の1になる!』『東京郊外の生存競争が始まった』『中高年シングルが日本を動かす』など多数。
カルチャースタディーズ研究所

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