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山口組分裂劇に衝撃展開…山健組組長自らがヒットマンに? 事前に消息不明情報も

文=沖田臥竜/作家
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山健組・中田浩司組長

 1989年から2005年まで続いた五代目山口組時代、「山健にあらざれば山口にあらず」とまでいわれたほどの大組織は、六代目山口組から袂を分かった神戸山口組の中にあっても、最大勢力として存在し続けていた。

 その山健組のトップ、五代目・中田浩司組長が今年8月、神戸市中央区で六代目山口組の中核組織である三代目弘道会系組員が銃撃された事件の実行犯として、12月3日夜に逮捕された【参考記事「六代目山口組連続襲撃で騒動が再燃か」】。逮捕容疑は、殺人未遂と銃刀法違反。配下の組員に銃撃を教唆したのではなく、自らが小型バイクを運転し、弘道会系組員の命を狙ったという容疑なのだ。山健組はいまだに神戸山口組の中核組織である。その組長が自ら発砲するなど、これまでの山口組の歴史では考えられなかったことだ。

 だが、確かに8月の銃撃事件後、中田組長の消息が取り沙汰されたことがあった。

 事件が起きたのは、8月21日。翌日は、神戸山口組の井上邦雄組長の誕生日祝いがあったために、中田組長の姿も例年と変わらず、神戸市花隈にある山健組本部にあった。同月26日に行われた夏休み明けの顔合わせにも、中田組長の姿が確認されている。しかし、中田組長の消息が取り沙汰されたのは、そこからである。

 9月の神戸山口組の定例会を欠席すると、自らが率いる五代目山健組の会合も欠席。一説には、ケガをして入院しているのではないかと囁かれていたのだ。そのケガの理由についても、さまざまな憶測を呼んでいたのは間違いないだろう。

 そんな中田組長が次に姿を見せたのは、10月10日に弘道会系組員に射殺された山健組系組員2名の葬儀の時であったといわれている【参考記事「山口組分裂騒動が本格抗争に発展か」】。さらに、最後に公の場に姿を見せたのは、神戸山口組・古川恵一幹部が射殺された前日の11月26日。山健組関連事務所で執り行われた盃事の日であり、その直後の12月1日に行われた古川幹部の葬儀には姿を見せていない。すでにこの時には、事実かどうかは別として、中田組長は捜査の手が自分に近づいていたと察知していたのではないだろうか。

 「今年に入って、中田組長は山健組の定例会で『六代目山口組には戻ることはない』といった趣旨の発言をしていたといわれている。そうした中で起きたのが、山健組若頭刺傷事件だ【参考記事「神戸山口組系・山健組若頭が刺される」】。だからといって、その報復で山健組組長自らが、弘道会系組員を発砲するとは、とてもじゃないが考えられない」(業界関係者)

 それは神戸山口組の内部にあっても同様であったのではないだろうか。中田組長の逮捕を受けて、神戸山口組は傘下組織の二代目西脇組で緊急会合を開催させている。

 「本当に中田組長が実行犯なのかどうか、神戸山口組内部でも話し合われたのではないか。それくらい、中田組長の逮捕は、神戸山口組内でも衝撃だったはず。今後の捜査の見通しや対応策も検討されたはずだ」(捜査関係者)

 今から7〜8年前。筆者が所属していた組織の本部事務所に、当時山健組傘下の健竜会会長だった中田組長が、配下の組員を従えて、筆者の親分を訪ねてきたことがあった。その時の貫禄は相当なもので、ゆくゆくは山健組のトップに立つ人物ということが、うかがい知ることができるほどであった。果たして、それほどの大物が、自ら拳銃を握って、いち組員に対して発砲することなど本当にあるのだろうか。

 仮にそれがもしも事実であったとするのなら、何を意味するのか。現在、業界関係者の間で、今後の捜査の進展に注目が集まっている。

(文=沖田臥竜/作家)

沖田臥竜/作家

沖田臥竜/作家

作家。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)はドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

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