
若者で溢れかえるお台場。その南側には、約500ヘクタールにも及ぶ広大な人工島がある。この人工島は「中央防波堤埋立地(中防)」と呼ばれる。
お台場一帯は明治期から埋め立て計画が立てられ、戦後に埋め立て造成された。一般的に「お台場」と称されているが、それは港区の住所にすぎない。お台場一帯は品川区や江東区にも属し、関係者の間では「13号埋立地」と呼ばれている。13号埋立地が造成された当初、同地はどこの区にも属さない空白地帯だった。同様に、中防もどこの区にも属さなかった。しかし、住所がなければ、いろいろと不便なことが起こる。そのため、暫定的に中防には江東区青海地先という住所が付された。しかし、正式な江東区の土地ではない。あくまでも呼び分けるための暫定的な住所だ。
この人工島は、40年間にもわたり大田区と江東区とが帰属を主張し、争ってきた。大田区の言い分は、「羽田空港の造成で大田区の海苔養殖事業者や漁業関係者は泣く泣く権利を放棄した。中防は、そうした大田区の犠牲の上で成り立っているのだから、大田区に帰属するのが当然だ」というもの。今般、羽田空港は日本の玄関口となり、その役割は年を追うごとに重要性を増している。大田区が涙を飲まなければ、日本の発展はあり得なかった。国際的にも置いてきぼりを食ったことだろう。
一方、江東区の言い分はどうか。高度経済成長期、東京23区の人口は一気に増加した。そのため行政は生活インフラの整備に追われた。東京都のインフラ整備は、人口増加にまったく対応できなかった。インフラ整備の遅れによって、特に区民生活で支障が生じたのが日々排出されるゴミの処理だった。
東京23区から排出される大量のゴミは、江東区の湾岸エリアに持ち込まれ、区はただ黙って他区が排出したゴミを引き受けるしかなかった。ゴミ行政なる意識が薄く、衛生概念も今とは段違いに異なる当時、持ち込まれたゴミは異臭を放ち、江東区全体が不衛生な環境に陥った。そのため、江東区にはハエが大量発生するという深刻な公害が起き、消防や自衛隊が出動するほどの大問題になった。
江東区民の怒りは爆発。江東区民は一致団結し、他区のゴミ収集車を追い返す抗議活動を展開した。そうした江東区民の怒りの声は行政にも届いたが、いかんせんゴミの処理場がない。江東区はゴミの受け入れを甘受するだけだった。そうした過去を振り返り、江東区は「江東区の苦労がなければ、埋立地の造成はなし得なかった。だから、埋立地はすべて江東区に帰属する」と主張している。
大田区、不利な判決受け入れの背景
両区は互いに主張を譲らず、東京都の自治紛争処理委員の判断を仰ぐことになった。2017年、東京都自治紛争処理委員は埋立地の帰属を江東区が約9割、大田区が約1割という調停案を提示。しかし、どちらの区も調停案には納得しなかった。江東区職員は語る。