
10月上旬、都内にある日本ユニ・エージェンシーのセミナールームは、この日のために集まった数十名のイラストレーターらによる熱気に包まれていた。当日開催されていたのは、ある本のために実施されたコンペの作品選考会だ。
その本とは、700冊の著書を持つ、作家としても人気の精神科医・和田秀樹氏による初めての自伝的小説『灘校物語』。装丁はブックデザイナー・鈴木成一氏の手に委ねられ、装画を決めるために鈴木成一装画塾主催の緊急コンペが行われたのだ。
総勢77名がコンペに参加
装画とは、表紙やカバーを飾るイラストレーションのことで、書籍の顔、スポークスマンとでもいうべき存在。イラストとして優れているだけでなく、限られたスペースでその本の内容を伝え、書店で手に取らせるような表現力も求められる。
鈴木氏は新たな才能の発掘という狙いも込め、これまでにも装画コンペを開催してきた。ただ、通常は装丁を担当するデザイナーが前もってイラストレーターを指名して作り込まれるため、コンペが実施されるのはレアケースでもある。
ちなみに、この作品の編集者である穂原俊二氏は、長年一緒に仕事をしてきた鈴木氏に絶大な信頼を寄せているものの、装画コンペは初の試み。どのような作品が集まるのか、不安がる彼を説き伏せたのも鈴木氏だったという。
そして迎えた選考会当日。鈴木成一装画塾の新旧受講生を中心に総勢77名がコンペに参加し、その多くが選考会の会場にも足を運んだ。事前に郵送されたものに加え、参加者が持参した作品が、会場の壁や棚を埋め尽くしていく。上質な作品が目立ち、編集者の不安は杞憂だったことがすぐに証明された。
モチーフとなる要素が随所に散りばめられた本作だが、事前に鈴木氏からのリクエストで、語り手であるヤダ少年が作品のシンボルたり得ることが紹介されていたこともあり、彼を描いた作品が多数を占めた。
そのモデルであり、著者でもある和田氏が喜びそうなイケメンのヤダ少年もいれば、もっさりとしたヤダ少年も。さらには友人たちや灘校の正門、ラジオ、映画館、カープの帽子、神戸や大阪の街角、阪急電車といった多彩なモチーフがさまざまな技法で表現され、なかには写真による作品も寄せられた。会場はまるで『灘校物語』を題材とした即席のグループ展が開かれているかのような雰囲気だ。
これらの作品を鈴木氏は迅速に、しかし丁寧に審査していく。希望者には講評も行われ、鈴木氏の言葉を他の参加者も熱心に聞き入っていた。
その後、別室に場を移して行われた審議では、優れた作品が次々と挙げられた。これらを比較・検討した結果、ひとりの作品が抜け出しているという結論に。最終候補作となった4点が会場のホワイトボードに掲示されると、それまでにぎやかだった会場は急に静まり返った。
最終候補作の作者は以下のみなさん(敬称略)。
松田学、ゆかこ、kalo、丸山一葉
鈴木氏によってこれら最終候補作の評価が順に紹介され、最後に取り上げられたのが、今回、装画として選ばれた丸山一葉さんのイラストだった。
「丸山さんはすでに何回か仕事をやっていて、ちょっと予定調和的で悔しいんですが……すでにオリジナルなスタイルがあるし、編集やいろんな人が納得できるのはこの方向だということですね。ただ『賢いんですね』で終わらず、ドタバタやヘタレな部分、カッコ悪さなども含まれるのが『灘校物語』の味で、そのあたりもうまく絵になっているということです。おめでとうございます」
続いて、担当編集の穂原氏も感想を寄せた。鈴木氏とコンビを組んで25年以上、世に送り出した作品は100冊を超えている。
「みなさんに灘校のゆかいな仲間たちのイメージをさまざまなかたちで表現していただいて、それを見るのがとても楽しかったですし、優れた作品が多くて豊かな気持ちになりました。そのなかで、丸山さんの作品は、和田さんが選挙に出て落選して、当時の泡沫候補と自身を重ねて自嘲する部分やエリートでいじめられっ子で偏屈で、でも深夜放送や映画に夢中になっている感じがうまく出ていて、おもしろいなと思いました」
「今回は実力のある人が受賞した」(鈴木氏)

かつて鈴木成一装画塾の受講生でもあった丸山さんは、すでに第一線で活躍している実力派イラストレーター。選考会終了後、喜びの声を聞かせてくれた。
「素晴らしい作品がたくさんあったので、自分が選ばれることはないなと思っていました。鈴木さんの“ちょっと悔しい”という言葉に込められた意味をちょっと探ってしまいますけど(笑)、素直にうれしいです」
制作期間は、原稿が送られてきてからの約一週間。弟さんが著者と似たような経験をしていたこともあり、原稿を夢中になってあっという間に読み終えたという丸山さん。その後、作品中に出てきた絵になるモチーフから、何を抽出するかを考えたそうだ。
「たとえば、作中に登場するラジオ(ナショナル「クーガ7」)は、自分も中学生ぐらいの頃に深夜ラジオを聴いた覚えがあって感情移入もしやすかったですし、エピソードの分量も多かったので。ちょっとエッチな映画が好きなことを物語のなかでぽろっとこぼしちゃう可愛げや、選挙にどうしても勝ちたいという負けず嫌いなところも、イラストに託したつもりです」
鈴木氏にも改めて話をうかがったところ、「ちょっと悔しいんですが」という言葉の裏にある真意についても話してくれた。造形力など丸山さんの腕前を高く評価しているからこそのジレンマがあったようだ。
「10年ぐらい装画塾をやっていて、今回は、その受講生やこれまでに好きで装画に使った人、ほかのギャラリーで知り合った人などにも声をかけたので、クオリティの高い参加者が集まったと思っています。丸山さんは元受講生で、実力もあるし、作家性もあるし、イラストレーターとして非常に確固たる存在になりつつある。彼女が参加するんであれば、候補としては、おそらく上位になるだろうなという気はしていたので、予想通り収まったかなと。この本をこういうふうに読んじゃうのか、こんな表現が出てきたのかという新しい才能の発見は、こういうコンペをやる意義でもあって、それを期待していたんですけど、今回は実力のある人が受賞したということですね」
ところで、都合により選考会に出席できなかった著者の和田氏は、逐一LINEで報告を受けながら会場を目指し、熱気が冷めやらない終了直後に到着。選出作品をはじめ、会場に残っていた作品を鑑賞したのち、感想を語ってくれた。
「どの作品もレベルが高くて、こんなに集まって身にあまる光栄というか、すごくうれしいです。今回の小説は深夜放送とか、あの当時の若者に共通する話でもあるので、選ばれたイラストのイメージは、ストレートにとても合っていますね。僕はこういうちょっと昔っぽいタッチが実はわりと好みなんです。昔の高校生の悩みながら這い上がっていく感じや雑然とした感じも出ていて好きですね」
この日から約2カ月。装画のブラッシュアップを重ね、著者らの意見も踏まえて、ついに装丁が完成。12月6日、『灘校物語』は発売された。装画のもととなった小説を読めば、今回の装画の魅力もより感じていただけるだろう。
なお、選考会終了前に鈴木氏は「こういうコンペはまた機会があればガンガンやります。世の中にでるチャンスだと思っています。どんな発見があるかわからないので、どんどん挑戦してください」と参加者へ語りかけた。今後開催されるコンペにも注目したいところだ。
(文=編集部)
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