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『半沢直樹』の金融庁・黒崎検査官のモデルが死去…旧UFJ銀行を消滅させた男

文=有森隆/ジャーナリスト

 当時、国有化候補の筆頭と目されていたのが、みずほフィナンシャルグループだった。2003年3月に3000社を超える取引先に出資を要請、1兆円増資という奇策に打って出て、危機を強行突破した。りそなホールディングスは、監査法人に繰り延べ税金資産を自己資本に組み入れることを厳格にチェックされたために自己資本比率が急激に低下。同年5月に公的資金の受け入れ、実質国有化に追い込まれた。次の標的はUFJ─。

竹中金融相という後ろ盾

 2003年7月に、厳しい検査姿勢で知られる目黒謙一検査官が金融庁の検査局検査監理官に就任した。このポストは、現場の検査官の取りまとめ役。厳格な検査を求める竹中金融相の意向を反映した人事と囁かれた。

 目黒謙一は高校を卒業後の1966年に大蔵省(当時)に入省して以来、もっぱら検査畑を歩き、1998年に発足した金融監督庁(現・金融庁)に移った後も一貫して金融機関の検査に携わってきた。メガバンクの検査を担当するようになってからは、三菱東京フィナンシャル・グループ(FG、当時)、みずほフィナンシャルグループの金融庁検査で辣腕を振るい、鬼検査官として各行の役員・担当者を震え上がらせた。

「目黒検査官は、食事はもちろん、お茶もティーバッグとポットを持参して、銀行からの供応はいっさい受けません。資料を抱えて検査官の部屋に何日でも閉じこもる。そして、担当者を呼び出して債務者区分の引き下げを通告する」(メガバンクの関係者)。金融庁内には「検査官の独走」を懸念する声があったものの、目黒が豪腕を振るえたのは、大手行の資産を厳格査定し、不良債権を半減させたいと考えていた竹中平蔵金融相の『金融再生プログラム』の有形無形の後押しがあったからだ。目黒を竹中の意思を体現する“切り込み隊長”とみる向きが多かった。一介の検査監理官である目黒の人事が、これほど関心を呼んだのは、こうした背景があったからだ。UFJに乗り込み、検査の陣頭指揮をとったのが、目黒謙一だった。

 2003年8月28日、UFJの運命を決定づけることになった金融庁の通常検査が始まった。10月7日から、通常検査と並行し、大口融資に絞った特別検査を実施した。特別検査は不良債権問題の最終決着を目指す金融当局と銀行の関ヶ原の戦いだった。「海外はやめて、地方銀行になればいい」。攻防の発端は、UFJの検査に入った目黒検査官のこの一言だった。「金融庁は当行を狙い撃ちにして、潰そうとしている」。UFJは宣戦布告と受け止めた。

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