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江川紹子の「事件ウオッチ」第142回

【伊藤詩織さん「性暴力裁判」で勝訴】江川紹子が見た判決・会見…今後求められるものとは

文=江川紹子/ジャーナリスト
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ジャーナリストの伊藤詩織さん(写真:AP/アフロ)

 映像ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBSワシントン支局長の山口敬之氏から性的暴行を受けたとして損害賠償を求めた民事裁判で、東京地裁は伊藤氏の訴えを全面的に認め、山口氏に慰謝料など330万円を支払うよう命じる判決を言い渡した。山口氏は、伊藤氏による記者会見や本の出版は名誉毀損に当たるなどとして1億3000万円の支払いなどを求める反訴を起こしていたが、同地裁は山口氏の主張を「いずれも理由がない」として退けた。

「就活セクハラ」とTBSの責任

 判決が認定した事実によれば、本件は、テレビ局で仕事をしたいと就職活動中の若い女性が、大手メディアのワシントン支局長の男性と会食後、酩酊状態に陥ったところを、タクシーに乗せられ、男性側が宿泊していたホテルの部屋に連れ込まれて、性的関係を強いられたものだ。立場を利用した「就活セクハラ」の構図で見るべき事件といえよう。

 山口氏は、性的関係を強いたことを否認し、記者会見で「立場を利用して性行為をしたわけではない」と主張した。

 しかし判決によれば、山口氏は、就職先の紹介を相談してきた伊藤さんに対し、

・米国においてフリーランスとして契約し、仕事を続けながら正式な採用を目指す場合には自分が決裁可能だ、とするメールを送信した。
・最大の関門はビザであるが、自分が勤務するテレビ局による支援も検討できるとして、会うことができるかどうか尋ねるメールを送信した。

 伊藤さんがこのメールに返信し、会食の約束に至った。

 この時までの、伊藤さんと山口氏の関係について、判決の中には、こんな記載がある。

〈原告(伊藤さん)は、それまで2回しか会ったことがなく、就職活動に係る連絡のみを行い、将来は上司となる可能性のあった被告(山口氏)〉

 就活中の伊藤さんにとって山口氏は、自分の命運を握り、自分の上司になるかもしれない存在だった。それを考えると、「立場を利用していない」という山口氏の弁明は虚しい。

 就職の相談で会ったのに、1人では歩けないほど酩酊した女性をホテルの自室に連れ込み、性行為に至ったという、ほぼ争いのない事実だけで、倫理的には十分に非難に値する。

 今回の判決の後、TBSは「元社員の在職中の事案であり、誠に遺憾です」とコメントしたが、単に在職中だった社員の不祥事というだけで済ませていいはずがない。自社の人の採用を巡る労務管理の問題と受け止めて、こうなった経緯をきちんと検証し、結果を明らかにすべき責任があると思う。

「就活セクハラ」のなかには、大手商社や大手建設会社の社員が、女子大生に酒を飲ませたり、言葉巧みに自室に連れ込んで、性的暴行を加えて、刑事事件として立件されたケースもある。伊藤さんの場合も、警察の捜査が進められ、山口氏の逮捕状まで出ていたのに、なぜか警察官僚がストップをかけるという異例の事態もあって、捜査は頓挫。山口氏は不起訴となった。

 伊藤さんは検察審査会に申し立てたが、「不起訴相当」の結論だった。検審がどういう証拠に基づいてこの判断をしたのかは、まったくわからない。

 山口氏側は、記者会見でも刑事事件として立件されなかった点を強調し、「私が犯罪者であるという前提で報じるなら、客観的証拠を示してほしい」と記者たちを牽制した。

 だが、刑事事件として有罪にならなかったからといって、それは必ずしも「加害の事実はなく、責任もない」ことを意味しない。

「新たな客観的証拠」が必要なのは山口氏のほうでは

 刑事手続で不起訴や無罪となっても、民事的な賠償責任を求められるケースは、交通事故や業務上横領などの事件では、そう珍しくない。性的暴行を巡っても、今年8月28日、名古屋地裁で刑事事件で不起訴となった男性に賠償命令を下す判決があった。被告側が反訴を起こしている点など、経緯が伊藤さんの裁判と似ているところもあるので、少し詳しく紹介する。

 共同通信の記事によれば、原告は17歳の少女。中学1年の頃に、同居し、同じ部屋で寝ていた60代の祖父から複数回にわたって性的虐待を受けた。2016年1月に少女が担任の教師に打ち明けて発覚。同年3月から祖父と離れて母親と暮らしている。

 名古屋地裁の判決によれば、少女は一昨年、強制わいせつ、準強姦で祖父を告訴したが、名古屋地検は昨年7月、嫌疑不十分で不起訴とした。少女側が550万円の賠償を求めた民事裁判でも、祖父側は「性的虐待をしたことはない」と述べ、少女の訴えを「虚偽告訴」と主張。告訴や捜査によって名誉を毀損され、不安や屈辱を感じたなどとして、少女の親権者を相手取って220万円の賠償を求める反訴を起こした。

 この民事事件で同地裁は、性的虐待はあった、と認定。「被告(祖父)の主張を前提にすると、原告(少女)は故意に虚偽の供述をしていることになるが、本件全証拠を精査しても、原告が被告を陥れることになる虚偽供述をする動機を見いだすことはできない」などとして、少女の供述に信用性を認め、祖父側に110万円の損害賠償を命じた。

 また、性的虐待があった時期について、少女は当初、「2014年12月中頃」とだけ述べていたが、後に「15年4月頃まで」続いていた、と供述を修正した。その変遷についても、裁判所は「(虐待の)終期について虚偽を述べる必要性がない」として、修正後の供述に信用性を認めた。

 一方、祖父側の反訴については、少女の告訴は「正当な行為」であり、祖父の訴えは「理由がない」として退けた。

 刑事事件が不起訴となった理由について、先の共同通信の記事では、「発覚までに時間がかかり、証拠が集められなかったとみられる」としている。

 国家が個人を訴追し、処罰を求める刑事手続では、裁判所が採用できる証拠には厳格な要件が付される。「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従えば、検察側が「通常人なら誰でも疑いを差しはさまない程度」に有罪を立証できなければ、無罪となる。検察側は、そういう事態を嫌い、有罪判決に確信が持てなければ不起訴とする場合が多い。

 一方、民事事件は基本的に権利を巡る私人対私人の争いで、証拠の提出も刑事裁判のような厳格な要件は付されていない。裁判所は、対立する双方の主張や証拠、証言などを吟味し、どちらが信用できるか、合理的かを判断することになる。

 その結果、伊藤さんのケースで東京地裁は、山口氏の主張より、伊藤さんの訴えが信用できると判断した。信用性については、判決はさまざまな点を挙げているが、たとえばこう述べている。

〈原告(伊藤さん)が本件行為に係る事実を警察に申告した時点では、被告(山口氏)はTBSワシントン支局長として原告の就職のあっせんを期待し得る立場にあった者であるから、原告があえて虚偽の申告をする動機は見当たらない〉

 一方、山口氏の供述に関しては、次のような評価をした。

〈被告の供述は、本件行為の直接の原因となった直近の原告の言動という核心部分について不合理に変遷しており、その信用性には重大な疑問があるといわざるを得ない〉

 山口氏は、この判決を不服として控訴する方針を表明している。それは彼の権利であり、地裁判決はいまだだ確定していないことを、私たちも配慮する必要はあると思う。

 ただ、東京地裁が双方の主張を十分聞いたうえで事実認定をしており、その重みを無視することはできない。刑事事件として有罪認定されていない以上、彼を「犯罪者」と呼ぶことは適切でないが、本件判決は彼を性的暴行の「加害者」と位置づけており、「新たな客観的証拠」がなければ、この判決に基づいた論評ができないものではない。

 山口氏と代理人の北口雅章弁護士が、判決後に2度にわたって開いた記者会見での判決批判を見ても、「(伊藤さんが事件後に受診したクリニックの)カルテに書かれていることと、本に書かれていることが異なる」といった些末なクレーム、しかも地裁で主張が受け入れられなかった主張を繰り返しているだけだったように見えた。控訴審で裁判所の判断を変えようとするなら、むしろ山口氏のほうに、自身の主張を裏付ける「新たな客観的証拠」が必要なのではないか。

 ちなみに、カルテは医師が書くもので、検察官などが作成する調書と異なり、患者からの事実経過についての聞き取りが正確に記されているかどうか、患者本人が確認するわけではない。カルテの記載と伊藤さんの本での記述や法廷での供述に違いがあるといくら叫んでも、あまり意味があるとは思えない。

看過できない人格攻撃と印象操作

 記者会見での山口氏側の主張で、私の印象に残ったのは「伊藤さんは嘘つきだ」という人格攻撃だ。たとえば山口氏は、「本当に性被害に遭った方」については、「訴えるのは当然だし、それを受け止めるのは社会の義務」と言う一方で、伊藤さんに「虚言癖」があるとしたうえで、次のように述べている。

「(伊藤さんのように)必要のないウソをつく人、本質的なウソをつく人が、性犯罪被害者だと言って出てきたことによって(中略)本当に性被害に遭った方が、うそつきだと言われるといって、(訴えに)出られなくなっているのだとすれば、これは残念なことだなあ、と思います」

 しかし、伊藤さんの信用性を認めた東京地裁判決によって、「本当に性被害に遭った方」が「うそつき」扱いされる懸念は解消されたのである。本当に「本当に性被害に遭った方」を思う人であれば、ここは「残念」ではなく、「よかった」と言うべきだろう。

 さらに山口氏は、「本当に性被害に遭った方」から聞いた話として、「記者会見の場で笑ったり、上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは、絶対にない」とも述べた。

 私が、翌日の会見で山口氏が認識する被害者像について尋ねたが、前日の発言は自分の意見ではなく、あくまで「本当に性被害に遭った方」の話を引用したものだと主張。あえて、そうした話を「引用」した理由についても尋ねたが、山口氏は「私がどこを引用するか、江川さんに指示や批判をされるいわれはない」と突っぱね、答えてもらえなかった。

 そこで、この点は私の推測になるが、山口氏がこうした話を持ち出したのは、「つねに人目を避け、うつむいている」といったステレオタイプな被害者像を人々に思い起こさせ、伊藤さんのふるまいが「被害者らしくない」というイメージを与える、一種の印象操作の試みではないか。

 被害者とはかくあるもの、といったステレオタイプなイメージを持たれがちなのは、性被害に限らない。しかも、メディアを通じて伝わる被害者像の多くが、悲しみにくれているか憤っているかのどちらかだ。

 妻子を殺害され、かつて加害者への厳罰を訴えていた男性は、民放の生番組に出演した時のことを、こう語っていた。

「CM中にほかの出演者と談笑していたら、アシスタントディレクター(AD)から、『まもなくCMが終わります。表情を引き締めてください』と声をかけられました」

 ADは、談笑している彼の表情が全国に流れて、「遺族らしくない」と言われないよう、おそらく善意でそう言ったのだろう。それほど、「被害者・遺族」のイメージはパターン化しており、このことが、むしろ被害者・遺族を縛っている。

 私は別の事件で、ある時期、被害者や遺族らが集まるのに、カラオケボックスを使っていた、という話を聞いたことがある。できれば楽しい話もして、他人の目を気にすることなく笑いたいからだ、とのことだった。

 事件や加害者について聞かれれば、悲しみや怒りがこみあげてくるのは当然としても、被害者・遺族にも日常がある。時間の経過や、その場の状況によっても、気持ちに変化もあるだろう。そういう変化は、人によって、あるいは置かれた環境によっても異なる。

 性被害も同じだろう。いろいろな対応があるのが現実で、誰にも話せず、長年苦しみを抱えている人が多いからといって、勇気を出して名前と顔を出して戦う伊藤さんが「被害者らしくない」と非難される謂われはない。伊藤さん自身も、会見では気丈にふるまっていても、まったく関係のないアメリカのある場所で、突然フラッシュバックが起きて苦しむこともある、という。

 けれども、身近に被害者がいない人は、そこまで想像力が及ばない。そんな人々に、ステレオタイプ的な「被害者らしさ」を押し付け、伊藤さんについて「被害者らしくない」「本当に被害に遭ってはいないのかもしれない」といったイメージを広げようとするのは、手法として真っ当ではない、と思う。

 ただ、こうした印象操作を行っていたのは、山口氏や北口弁護士だけではない。伊藤さんが最初の記者会見を開いて以降、これまでネット上では、「被害者らしくない」という非難はずいぶんあった。

 さらに、伊藤さんの人格を貶めるメッセージも多数飛び交った。なかには、目を覆いたくなるほど酷いものもあった。たとえば、マンガ家のはすみとしこ氏。「山口」の名前が入ったTシャツを着た女性の絵に「枕営業大失敗!米国じゃキャバ嬢だけど私ジャーナリストになりたいの!試しに大物記者と寝てみたわ」と添え書きしたり、伊藤さんとその著書をイメージさせるイラストに「そうだデッチ上げよう!」などと書くなど、伊藤さんをひどく貶める作品を5枚公開した。

 東京地裁の判決後、はすみ氏は「フィクションであり、実際の人物や団体とは関係がありません」とツイートし、判決後も公開を続ける意向を表明した。

 これらのイラストが伊藤さんを揶揄・中傷していることは明らかで、今さら「関係ありません」で済むものではない。判決後も公開を続けるのは、反省のなさを示していると判断されてもやむを得ないのではないか。

なぜ逮捕状執行にストップをかけたのか説明すべき

 伊藤さんにとって、さらに気の毒だったのは、事件そのものが政治的な色彩を帯びてしまったことだ。山口氏が安倍晋三首相に近い立場で、不自然な形で逮捕が回避されたことなどもあって、安倍氏につながる人脈がなんらかの影響を及ぼしたのではないか、ということが早くから論じられた。

 私が知る限り、伊藤さん自身が記者会見で安倍首相や官邸を批判したわけではなく、弁護団もこのような問いには、非常に抑制的に対応してきた。にもかかわらず、安倍シンパなどから激しいバッシングにさらされた。

 杉田水脈・衆院議員は、英BBCの番組中で伊藤さんの訴えを「嘘の主張」と決めつけ、「明らかに女としての落ち度がありますよね。男性の前でそれだけ飲んで、記憶をなくしてっていう」などと非難した。

 国会議員が、係争中の一方の当事者、それも加害者の言い分を前提に、被害者の「落ち度」を論難するのは、論外としかいいようがない。

 伊藤さんが、誹謗中傷に対しては法的措置を考えていると明らかにした後、杉田議員は「一般論」を持ち出して批判を回避しようとした。だが、一般論であればなおのこと、性暴力の加害者ではなく、被害者を非難するなど、ありえない対応だろう。

 性的マイノリティの人々について「『生産性』がない」と述べた発言もそうだったが、杉田議員には国会議員に必要な人権感覚がまるで欠如しているといわざるを得ない。安倍首相の肝いりで、衆議院選比例区名簿の上位に掲載される厚遇で当選したが、安倍首相や自民党は、そろそろ引導を渡すべきではないか。そうでなければ、安倍首相と自民党も、杉田議員と価値観を共有していると見られても仕方がない。

 本件では、警察の捜査が途中で頓挫したことでも、疑念を招いている。安倍政権に批判的な人たちからは、山口氏が「お友だち」であったことで、逮捕も起訴もされなかったと、官邸の関与を疑う声が大きい。逆の人たちからは、TBSが事件を潰したのではないかと声も出ている(そういう声があるからこそ、TBSはなおさら、きちんと検証を行う必要がある)。

 実際のところ、山口氏が刑事責任を問われなかった理由は明らかでない。逮捕状執行に警察官僚がストップをかけたところまでは明らかになっているが、その理由や、それが捜査に及ぼした影響などは不明。判断に官邸が関与したのか否かもわからない。伊藤さんが、当該警察官僚に質問の手紙を出すなどしたが、返答はない。

 刑事手続の公平性・公正性に疑念が生じれば、その信頼性が揺らぐ。社会の治安と安定にとっても、好ましくない。当該警察官僚は、自身が捜査に介入した理由や経過を、公の席で説明すべきだろう。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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